2008年11月26日水曜日

英語と日本語の話

日本に居た頃から仕事柄英語を使う事が多い為、ひどくは英会話では不便を感じなかったが、それは教科書的な発音の人が偶々周囲に多かった為で、こちらの人間が現場で使う様々な「訛り」をある程度まで不自由なく聞き取れるようになるにはやはりこの歳では私の場合数年かかった。
今でも物凄い田舎に行くと、それが先ず英語である事を耳で確認する作業を強いられる事がある。(笑)
これは個人の癖だか何だか解らないのだが、こちらで言う所の「marble rolling」という、舌の上で玉を転がすような口籠った感じの発音が私には苦手だ。
あと個人的には、余り教育のレベルが高くない人が「ごく自然に」使う英語も日本の教科書的なものとはかなり違っていると感ずる事が多い。要するにこちらがノンネーティブである事を考慮して話をするするつもり(もしくは語彙かも)が毛頭無い人たちとの会話は又こちらも語彙を変えて話す必要があるのだ。文法自体も完全に日本の英語の先生がその聞き書きを採点したら赤点を付けるような代物であることもある。
私には悔しいのだが、子供達にはそれが大して苦にならないのは明白で、日本のテレビなどで使われている日常的和製英語と同程度のレベルでは理解しているようだ。
我が家では私の方針で、家に英語をネイティブとする人が来ている時以外は「必ず」日本語を強制的に使用させている。二ヶ国語を自在に操れるスキルというのはどんな形であれ子供たちの将来にポジティブに働くと考えており、これに関しては問答無用である。学校の授業で一日中英語、本を英語で読み宿題も英語、家に帰ってきてテレビも英語、そして帰ってきた後友達とまた英語で遊ぶとなっては家の中で強制的に日本語を使わせるしか方法は有り得ないのだ。
大きな問題は漢字なのだが、幸いにして長女は同年齢の日本の子供達の一年遅れくらいで読み書きできている、これもインターネットと任天堂DSのおかげかもしれない。(笑)問題は次女。こっちはいけない。日本語学校に全く通わせた事がなく、日本に夏休みに帰国させていたときに通った二ヶ月間の幼稚園のみが彼女の日本語で正式に受けた教育なのでそれも仕方ないかとは思うが、、、。すぐにでもある程度の漢字の書き取り練習をさせねばなるまい。(これは自戒を兼ねた書き込みです。)
姉と二人っきりの時とかついつい英語でゴニョゴニョとコミュニケートしているようで、私が「何か日本語でない言葉が話されてませんか~?」とわざと大声で呟くと、シーンとなり、クスクスと笑い声が漏れてくる。やはり彼女達にとって日本語を維持させるにはそうさせるように強制する「意思」の存在が必要なようです。
アメリカという場所柄、そして大学という仕事柄、いろいろな国の人に自分の子供達に母国語もしくは親の母国語を教育していく話を、お互いの経験を交えて交わす機会があるのですが、概ね漢字圏の人間では日本人がもっとも有利なようです。アルファベットが限定されている他の多くの人々(韓国人もハングル使用なのでほぼ同じ状況)と異なり、中国人の親は本当に子供達が漢字の学習をするのを嫌がるといって嘆いていることが私の周囲では本当に多いのです。全ての表現を何千種類もある漢字を学習して表現しなければいけないというのが「英語の日常学習との両立」という意味で本当に大きな負担のようです。その点、日本語はひらがなとカタカナで取り敢えずイントロはO.K.というような逃げ道がありますので、その点は敷居の低さという点で有利?なのかもしれません。

-この話、次回に続きます-

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