2024年4月18日木曜日

病院で眠れない人達

爺ちゃん婆ちゃんを中心として病院で夜眠れない人達は毎晩たくさん出ております。

眠剤を欲しがる人もいれば、眠剤が嫌いであくまで服用したくない人もおられて、その選択の中で私の方は最適と思われる方法を提案します。

眠りたくて、かつお薬を使いたい人にはオレキシン受容体拮抗薬をまずは最初の処方として試してもらいます。私としては昔々からあるような依存性の強いベンゾジアゾピン系のお薬はほぼ全く使わないようにしているのですが、理由は簡単でその依存性故にその薬の呪縛から逃れられずに何十年にもわたってこのベンゾジアゾピン系の薬から逃れられない人間たちが世界中に信じられない程いるからです。

我々の世代以降の先生方は当然この事を知っていて「あの薬が無いと眠れません」という被害者を我々医師自身が作り出さないためにも、可能な限り患者さん達に説明して止めています。

このベンゾジアゾピン系の薬をオレキシン受容体拮抗剤に置き換えたりしていく事が成功する事もあるのですが、絶対に元の古い薬の依存から抜け出せない人達が3割位は居るのです。残念な事ですが。こういう事を見たくないので処方自体を可能な限り避けています。

さて、この不眠という厄介な相手を何とか手なずけようとする訳ですが、基本的にこういう不眠を訴える患者さんはまずその生活習慣からして「夜に眠れない」状況を作り出しています。まず体を動かさない。そして最大の敵は昼に発生する長時間のお昼寝です。^^

「する事が無い」というのは夜の眠りを求める患者さん達にとって最大の敵で、リハビリをしない人や出来ない人を中心に体の疲れというものが溜まりません。その結果、夜はギンギンという悪循環に陥るのです。

そこで、看護師さん達にも協力を仰いで、昼にはなるべく眠らないようにいろいろな話しかけやアクティビティの導入を行って「眠らないお昼」を作り出すようにしています。

まあ、それでもお昼寝しちゃう人達は沢山おられるんですけどね・・・。

不眠。なかなか難敵です。

2024年4月17日水曜日

中国の人口が急減する理由を知った気が…

中国の人口が急減する理由を今日知った気がしました。

今日、患者さんの処置を終えた後にその処置を手伝ってくれた中国人の女の子と片づけを一緒にしながら軽く会話をしていました。

内容は何時も他愛も無いものなのですが、今日のお話は日本語が上手くなった事に驚いた話の延長で「日本にはずっと住んでくれる予定?」とか、「日ごろは友達と遊びに出たりしてるかい?」とかいう、話をしていました。

次女と一つ違いの年齢で、お父さんは小さい頃に両親が離婚した関係でよく知らず、お母さんの手一つで育てられてきた女の子です。まあ、それを知るに至った経緯は省きますが、彼女っは仕事を直ぐに覚えてかつ確実。指示を直ぐに理解して先回りしていろいろと準備をすることが出来る、いわゆる「出来る子」です。

その子が唐突に話してくれたのは結婚の話。

熱く語ってくれたのは「結婚はしない!」という事でした。曰く「面倒くさい」というのです。その理由を更に聞くと「自分が一人で居る事が気楽で良いし、他の人と一緒に居ると疲れる」と言います。子供に関して言うと「いやいやいやいや、絶対いや」と驚異の勢いで全否定。w

「中国で子供を育てるには物凄くお金が要ります」とのことで、だから無理だし子供は手がかかるから嫌です、と言うもう助言を挟む余地が全くない様なドライな切り替えし。更には「私は女の子で生まれたからお父さんに捨てられたし、そんな中国に戻るのは嫌です」との強い言葉も出て来ました。

取り付く島も無いという感じはこんな感じでしょうか。

余りにも強い言葉で結婚や出産を否定し続けるもので、空気を和らげるつもりで「イケメンの彼氏が眼の前に現れたらどうするよ!」と、昭和のオヤジ丸出しの質問をぶつけたところ「ああ~、その時はイケメン!カッコイイね~、で終わりです」と、淡々とした返答。orz

オジサンは中国の今後の人口増は難しいな、と普通の中国の女の子の一人と会話をしてみてストレートに感じたのでした。習のおっさんが何を言おうと効果は無かろうなと感じた次第でした。


2024年4月16日火曜日

90代の仲良し御夫婦

在宅診療で94歳のお爺さんと92歳のお婆さん御夫婦のお家を訪れるチャンスがありました。

生きているだけでも凄いなと思うんですが、お爺さんはいろいろな疾患を抱えつつも頭の方は未だ90代なりにしっかりしている所が凄い人で、昔は名古屋の路面電車の運転手や地下鉄の運転手をされていおられたとの事。退職してからもまだ仕事をされていた様で、ボケる暇が無かった感じの方ですね。

一方、お婆ちゃんの方は2歳お若いのですが残念ながらお爺ちゃんの手を握ってさすっては「おじいちゃん」と呼んでニッコリするだけで、お話もする事はなくほぼ一日椅子の上に座ってこくりこくりと舟を漕ぐように寝ておられるご様子。

息子さんでさえ当然の様に70前後なのですが、家にお二人を置いたまま一緒に同居生活。毎日のようにお二人の家には看護師さんかヘルパーさんが来られては面倒を見て下さっています。一見すると、大きな病気もせずに時間が与えた「老衰」くらいが病気らしい病気。

この方々を見ているとこういった老後は世間で云う所の幸せな老後なんでしょうが、私はここに至る迄にぽっくり逝ってしまいたいと正直思います。

出来れば誰の世話にもなりたくないし、私自身の理想の死に方は「行き倒れ」です。金も名前も見送りも墓も要らない。一切忘れ去られてそれで人生は終わりというのが理想。勿論葬式や戒名等と云うのも余計な飾り。

実際、もうそろそろ息子以外との家族とも縁を切って一人でつましく生きたいなと思うばかりです。娘達も一人で生きていける年にまで十分育てましたから、私にはもう責任は無い。彼女達も偉そうな意見を言う程には十分デカいのでもう大丈夫。w

私が生きて稼いでいる間は今まで通りの十分以上の現金は送金するし、光熱費なんかも払うし、あと数年はかかるマンションのローンも払うのは自分で全く構いません。払い終わった後は勝手に売り払うも良し。

その代わり一人の時間を何もないボロ家の一室で好きな本を読んで過ごし、たまに息子と遊ぶ以外は田舎の残りの消えゆく実家の家族の最後をどうするかという事だけを考えて過ごしたいなと思う毎日です。

これって贅沢な望みですかね?^^

2024年4月15日月曜日

ドでかい木を切り倒すか?

アメリカにある家の真ん前に立っているoak(樫の木)を切り倒すか否かで迷っています。

木自体は少なくともアメリカ東部にはどこでもあるような(他のエリアの事あんまり知りませんw)何の変哲もない樫の木なんですけど、大の男が一人ではぎりぎり抱えきれない程度のサイズの幹の太さで、高さも少なくとも普通の家の高さで言うと三階半から四階分くらいある感じです。

この樫の木っていうのは意外と厄介者で、枝が良く末端の方から枯れてぼとぼとと落ちてきます。そしてこの細かい枝を片付けるのは別に季節に寄らないという点が非常に厄介です。更には、小枝だけでは無く時と場合によっては人の腕くらいの枝もボド~ッという感じで朝なんかに落ちていたりするのです。

要するに、もしこれが人がたまたま通りかかった時に落ちていたら?なんて言う事を考えるとその堕ちている枝の量からしてそれほど「有り得ない話」ではないという事が皮膚感覚で理解できるのです。また、アメリカあるあるなんですが、ハリケーンがやってきた際にこのどでかい木が家の方に倒れてきて家を壊したときには目も当てられません。更にその木が隣の家をぶっ壊してしまったら…等、想像しただけでガックリです。orz

そういう事の発生を防ぐためには当然の様にこのぶっとい木を切り倒さなければならないんですが、デカくなればなるほどその価格はつり上がっていくのは世界のどこでも一緒。数千ドルはするという感覚です。

個人で切り取れる木の高さと云うのは精々のところ二階をギリギリ越さない程度のものでしかありません。それ以上になると素人では絶対的に安全の確保が出来ない領域に入っていく気がします。たかが木一本の為に自分の命を無くすなんて事になったら全く洒落になりませんもんね。生きていればこそというのは幾らでもありますから。

そこで、アメリカの家に住んでいる女性の方に頼んで近所の業者でそういうことをやっている業者などを探してみて貰ったのですが、二つの業者で出して貰った見積もりを見たところ大体$2,000+αで木全体を切り倒してくれて、あと$200位足せば根っこ全体もぐラインディングしてくれてremoval終了となるようです。

円安の今の御時世…また50万円か~と溜息が出るばかりです。

2024年4月14日日曜日

岐阜の事を知らないので・・・

今週末は息子を連れてちょっとだけ岐阜の方へ北上してきました。

名古屋に住んでいても、なかなか自分では東西南以外に動きません。基本的に知っている所に何度も行く、そしてその行った先の周辺を少し開拓するという動きが多くなっているのが名古屋に来てからの私の動きです。

しかし「極マレ」に来たの岐阜の方へ行くこともありました。それは以前にもここに来たおちょぼ稲荷。それ以外は愛知側にある一宮や犬山城に行くくらいでしょうか?まあ、先日は岐阜の航空博物館に行ったというのが本当の岐阜へ行った経験という感じ。

岐阜の人には本当に申し訳ないくらい岐阜の事を知らないというのが本当のところでした。

そもそも岐阜市に行って何かをした事が無いし、岐阜の名物も歴史も知らない。岐阜弁で有名なフレーズは何かというのも知らないというのが実態です。

そこで、今回は四日市のひものを食いに行こうかなという思いを抱いていたのを名古屋口の高速に入った直後にそこを直進せず「先ずは岐阜」に行こうと左の枝分かれに入り、ずんずんと北上して行く事にしました。

守山のインターでいったん停車して息子にジュースを買ってトイレ休憩をしている間にこの春行きたい・岐阜の観光スポットXX選!何ていう感じの検索をかけていたら見慣れない言葉として「いわむら城下町」という結果が出てきました。中身を読んでみると「重要伝統的建造物群保存地区」として、近世の商家群を中心に江戸の頃からの風情を残した家々が軒を並べているのでした。

幸いなことに天気も良かったので、午後一時過ぎに家を出たこともあり少し遅めかなと思ったんですが、ナビの予想到着時刻を見ると、まだ少しは余裕がありそうでしたので城下町へ!

途中で阿木川ダムにも寄って葉桜になり始めた桜の名残りを愉しみつつもう少し北上。トンネルを抜けていくとそこには本当の城下町がありました。本来であれば岩村城址のほうにも足を延ばすべきなのでしょうが、そこは時間の制約上、今回は無理。同様に来る途中にあった広重の浮世絵博物館もパスしています。

到着するとそこは本当の江戸の世界を容易に想像できるレベルの素晴らしい家並みで「よくぞこんな所を残してくれました」という言葉が口をついて出て来るほどの良い感じオーラが出ていました。

五平餅を食べたり、ジュースを飲んだり、燻製チーズを頬張ったりしながらブラブラと息子と二人で散歩。優しい町の人達と気軽に会話をしながら散策する日曜の岩村はもう一度行かなければと思える場所となりました。

木村家、勝川家、浅見家などの豪商の家を観ながら中の案内をして下さったボランティアの方々にも親切にして頂き気持ちもハッピーそのもの。歴史の講義を簡単に聞きながら展示されている江戸や明治の色々なものに触れ、いろいろとそこに住んだ人々の心意気や哲学に啓発されました。

コレと言った特段のお土産が無いのがまた良いところで、ここでは体験こそが最良のお土産となりました。(あと全く知らなかったんですが、「半分、青い。」や「銀河鉄道の父」等のドラマもここで撮影されていたことを知り、実に納得したのでした。)

帰りは何の支障もなくスッと帰れましたが、まだまだ岐阜にはいくべき所が沢山隠れていそうです。高山なんかにももう四半世紀は行ってませんからそろそろリターンすべきでしょうかね。^^
説明不要でしょうか?
豪商木村家のお殿様用の通り道を逆から眺めました。
鴨居やその叢書勲位も隠れた贅が尽くされています。
ちなみに下の板目は屋久島の材。
上の波の眺めは殿様の為に漆を塗った貝の飾りと共にあります。
江戸時代そのもの。^^
炊事場もまるで映画のセットです。こっちが本物ですが。w
右に見えるのは物品持ち上げ用の手動エレベーター。
電柱など無い江戸・明治の街並みそのものです。