2016年9月14日水曜日

日本では責任を取る人は誰も居ない

誰が詰め腹を切らされるのかと言うのは極端な物言いですが、日本では大きな問題が発生したときにそのプロジェクトの責任者が誰であって誰が責任を持つべきかに関して曖昧であることが非常に多いと感じます。

翻って私自身の周囲はどうか。

私が勤めている病院では、幸いにして少なくとも医療行為に関してはトップの人間とその責任を取る人間というのは自ずと決まっており、何らかの判断を行った後の行為と責任は誰が取る果実にきちんとしております。特に危急の課題に対しては直ぐに理事長と私の上司がその対応を決定し秒速で物事を決めていきます。まあ、これも能力がありかつ胆力の有る人間がトップに立っているからでしょうが。

ではそれは全病院に行き渡っているのか?これがところがどっこいと言うやつでして、看護サイドのシステムはどうかと言いますと・・・。残念な能力レベルの人が残念な発言を繰り返すばかり。究極の責任dilutionをやってくれますので、下の意欲あるひとや若い人たちがリスクを犯して挑戦していくということを始めるためにはその若い人たちが自ら詰め腹を切る覚悟で事態に乗り出していかねばならないことが多いのです。

若い人が取り切れない大きな責任を、トップの人間がアイデアや助言を出しつつリスクヘッジしてやることが出来ない部署は必ず駄目になります。

今回の築地市場の移転に関するニュースや議論の中で、三代の知事に亘って報告が隠匿されていたようなことが話の中に出てきますが、コレこそまさに隠匿された不味い事実を隠し通すために、歴代に亘って都の官僚たちが隠し事を歴代引き継いできたという事実そのもの。

ただし、これもいつものようにどの世代のどの人間がそれを指示して隠したかということを含めて時間と書類の闇の中にこれらの事実を隠し通した挙句に、イワユル”うやむや”状態で幕引きされるのではないかといういつもの感覚を抱いています。

小池さん、果たしてどこまで隠された責任の所在と真実を暴けるのかな・・・。私は都の人間ではありませんが、今回の件をじっと見つめておきたいと思います。

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