2015年9月30日水曜日

引っ越しは死の匂いw

結局、昨日の引っ越しは夜中に終わり旧居のほうの清掃は後回しになりました。

翌日はありとあらゆる行事詰め込みまくり状態でのフラフラの中で仕事。(実は昨日、書いていなかったのですが引っ越しの途中に患者さんが急に心不全症状を示したためその対応で中二時間ほど引っ越し作業は中断していたのでした。)

立ったままで寝たいというくらい眠い状態でしたが、結局なんとかかんとか夕方にはチョットだけ時間を作りながらアパートの中で綺麗に掃除機をかけ、床を雑巾掃除をし、風呂の片付けをして全ての作業を終了させました。
空っぽになった部屋の中を眺め、日本に帰ってきて過ごした一年九ヶ月を過ごしたこの部屋に改めて感謝です。

そのあと、写真を数葉撮り退去。
鍵を明日代理で部屋確認をしてくれる事務課長に渡して全て終了となりました。

ところが、このあとは日常勤務の後、連続して当直でしたので体力任せの仕事です。
医者って寿命が短いってのが解るような気がします。ホント、こういったことに限らず労働基準法何するものぞって感じの連続勤務が多いですな〜。orz

ああ疲れた。
でも、また今日の当直看護婦からは既に何度もコール来てるし、何と間の悪い夜勤者の組み合わせであることよ。
まあ、やるしかないですな。w

こんな時嫁さんが居てくれたら・・・。

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2015年9月29日火曜日

夜逃げ屋本舗

というわけで、品川から帰ってきていきなり病院の方へ向かって帰りました。

前から連絡をしていた病院の若い兄さんにLINEを入れて合流しました。
運輸部に務める彼が病院に予め話をつけて車の準備をしてくれていましたので、それを使っての引っ越し開始です。
日産バネットバンを使いましたが、結構大きいようで積み込める量は少ない。

トヨタのハイエースに比べるとわずかのサイズ差なのですが、その僅かの差が仕事の効率という意味では大きな差を産むようです。でもタダで貸してもらえるのですから、文句は言えません。

先ずはダンボールのパッケージを黙々とニ十数個。さらにその隙間にベッドのマットレスを押し込み、更に大量の小間物を隙間に詰め込みました。
これをもって運転して数分の引越し先へと移動したのですが、そこには既に先に来ていたアート引越引っセンターの皆様が・・・。仕方なく時間を潰すこと一時間、なんか間が悪いです。orz

荷物を搬入し始めたのはもう五時半頃。ちょい予定よりも遅い感じですがまあよいでしょうということで、カートでガンガン荷物を上の階へ上げながらの仕事をしました。
すぐに前のアパートに戻って、二度目の荷物をバンに積み込みますが、今度は洗濯機と冷蔵庫という大物がありますので少し気が重い・・・。しかしやるしか有りません。

結局、意外なことにこの大物二つは思っていた以上に簡単に運びおわりました。まあ、引っ越しのプロは小型冷蔵庫ぐらい一人で運びますしね〜。そういう意味では当たり前ですか。

ここまでの荷物を新居へ移した時点で既に八時過ぎ、もう既に死にかけています。w
ここでもう一頑張りするために二人でラーメンを食いにでかけました。
私は再び白湯ラーメンを掻き込み、手伝ってくれている青年は味噌ラーメンでしたが、やはり二人共あと一回運ばねばどうにもならないという事実がよく眼の前でわかりましたので、ちょっとガックリ。無言で食べます。w

三回目は残りの細々としたものを掻っさらう感じでバンに積み込みました。しかし、布団袋までは届かず・・・。これはまた明日です。結局全てのものを運びこみ終わったのは12時20分という・・・。

これ、時間的には運び出す方も運び入れる方も怪しすぎ。
どう考えても「夜逃げ」ですな。

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2015年9月27日日曜日

Tokyo BayCourt Hotelから一路名古屋へ。

勉強会が終了したあとはびっくりするような値付がしてある山崎31年というのを飲んでみました。数ミリリットルで一万二千円でしたが、三杯頂きました。その後はいつものラフロイグ。(ところで山崎には25年まであるのは知っていましたが、31年というのがあるとは知りませんでした。)

そのあとはスパに入り、深夜は名大医学部の名誉教授とアメリカの医療に関して延々と話し合いました。
この先生ご自身も長い間、請われてアメリカで外科の診療に携わっていた方ですが、私が居たころのアメリカとは25年ほどのズレが有ります。しかし、そのころのアメリカの医療の現場のお話を伺っていると楽しいことや興味深い話が次々に出てきて面白かったですね〜。

そうこうするうちに夜中になり、自然と話は佳境を迎えたのですが、いつもの癖で深酒のあとは必ず朝の五時前後には目が覚めます。w
今回もまさにそのパターンで、朝早くに起きて、他の先生方と連れ立って朝のプール、そしてスパへと再び入りました。プールでは既に女性二名と男性二名が泳いでいましたが、温水プールの中で朝早くから己の出っ腹が映る天井のミラーを眺めながらの蛙泳ぎはなかなか気持ちよかったです。
そして再びじっくりとスパに入り極楽体験。外は昨日は良く見えなかったフジテレビの社屋やテレコムセンターなどがよく見えました。

全てが終わって朝食は一階のコンチネンタル形式の美味しいレストランで食べましたが、こりゃ本当に贅沢でしたね。
全てが本物の食材使ってる感じで、全部自前で摩り下ろしたり焼いたりして準備されているものをサーブしている感じでしたね。

食後は部屋に戻り、朝九時半過ぎの新幹線のぞみ号に飛び乗って院長先生と二人であっと言う間に名古屋に着きました。
三々五々別れたあと、私は直ちに本日のメイン・イベント「引っ越し」へと作業突入していったのですが・・・。
これが予想を超えて大変でしたよ・・・。orz

ヒーヒーものの引っ越しの結末はまた明日書きます。

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2015年9月26日土曜日

マンションの鍵をいただく

今日は朝からマンションの最後のお金を払って鍵をいただきました。

鍵はマスターが一本と、リモコンキーが三本と非リモコンキーが二本。そのうち一本はALSOKに渡してあるということです。とりあえず池下のギャラリーで九時にそれを頂き、使用法等に関する説明をちょこっとしてもらったあと、でかいパンフレット類を手渡されましたが、とても原チャリでは運べないので郵送していただくことになりました。

このあと、仕事場である病院へ直行しました。
仕事を終えると今度は新居の方に行ってみて、バックパックを一個だけ投げ込み本日の次のイベント会場である東京へ移動です。(こんな大きなイベント一日に二回あるとか実に間が悪い。)

イベントというのはバイト先の病院が提供してくれた研修会。顎足付きでの”実質的な”慰安旅行ってやつですね。
会場はTokyo BayCourt Hotelという会員制のリゾートホテル?
お台場の先にある国際展示場(アニヲタの皆さんがよく集う所です。)のすぐそばにある変わった形のホテルです。
芸能人や政治家がお忍びでたくさん来るらしいのですが?
夕方五時半からの開講に三分ほど遅れて入りましたが、全員で16人の勉強会でした。
理事長先生がこれまでの病院の歴史などを説明しつつ、いろいろと苦労話をしてくれたのですがやっぱり人並み外れた経営の才覚があるだけではなく、苦労を苦労として受容しつつもきちんと雇用者として経営を成り立たせる能力はとてもとても私などには真似できるものではないな〜、と素直に感服しました。いや、本当にそういう点では商才というものはこの世に存在するんだと改めて感じました。

それにしてもこのホテル、ありとあらゆるものが私の知っているものとは1ランク違った贅沢さを持っていてびっくりしました。まあ、どちらかと言うとアメリカ風の資本主義のチャンピオンが好みそうな感じの調度や装飾が散りばめられていましたね。
個人的には何度か来れば慣れて飽きそうな気もしますが、田舎の貧乏人の倅である私には少し間尺がw。
家にあったら毎晩飲んでそう。w
LEDのメニュー。初めてみました。
映画風のバスタブ 
二人から四人で使います。
ワンフロアを貸し切ってのお泊りでしたが、多分、夜のアルコールだけでも病院側は50万以上確実に使ってるだろうなと理解できるような凄い値段の各種アルコールが提供されていました。来年も開催されるとのことですが、どういたしましょうか?間違いなく酒も料理も美味しかったので、参加はしたいのですが。
この後の諸々のことはまた明日書きましょうかね。

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2015年9月25日金曜日

最悪のアップデート

今回のiOS9のアップデート、私にとっては最悪のものでした。

今までもiOS8でWiFiが繋がりにくかったり異常に遅かったりなんていうのはありましたが、今回のアップデートはソフト自体が全体として、そしてほとんど全てのソフトが使えなくなるという最悪のアップデートになってしまいました。

あんまりネットでも話題になっていないので、こんなにひどい目に有っているのは俺くらいかと思っていたら最近になって私と全く同じような症状を示している人達が居ることが居ることに気づきました。

私の症状は最初のうちはLINEの立ち上がりが五秒程かかり、その前段階でブラックアウトするというものだったのですが、何故か次第次第に症状が重くなり、ブラックアウト後に画面が戻らないという状態になり始めました。
四苦八苦した挙句、自分なりのこの問題を乗り越えるヘンテコリンな技を見つけました。w

まず、何らかのソフトウェアのアイコンを押したあと、ブラックアウトしてしまう、しかし、ハード・ボタンを二度押しするとそのソフトが立ち上がっていることが確認できるので、今度はソフトの一覧表にあるその使いたいソフト自体をもう一度押してあげると・・・やっと普通に使えるようになります。

こんな面倒くさいことをして初めて使えるのですが、次のアップデートではこの症状消えてくれるのでしょうか?
とりあえず、近々のアップデートに期待したいと思います。

嗚呼、最低。w

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2015年9月24日木曜日

名大の先生との共同研究

昨日は名大の医学部へ行って企業の方や名大の先生方とある共同研究に関してディスカッションをしました。 

病院を出て東山線に乗り、千種から久しぶりの鶴舞線に乗り継いでひと駅。六時から始まったディスカッションは開発されている製品の進行状況やその製品の品質に関する説明でした。

その製品を使用してのアプリケーションはどういったものであるべきか等の熱い討論がありましたが、最終的にはこれからデータを取りながら製品にその測定の結果を反映させつつの進化を目指すことになりました。 

討論終了後は前回のごとくに企業の方と揃って料理を皆で食べに行くことはなく、私と副院長と名大の先生とともに、名大の先生が「近所でお薦め」と言われたビールの旨い店に連れて行ってもらいました。
確かに今まで見たことのない変わったビールが次々に出てきました。それらにあわせて食べたいろいろな種類のチーズとハムは確かに「おしゃれ」でした。 しかし一本のビールがワインボトルサイズとはいえ3,500円というのはいかにも高いですな・・・。

まあ、久しぶりに飲んだ「酒類」ですので、それはマア良いのですが。 
次は名大の先生と私だけで、二次会ということでその店の直ぐ裏手にある串焼き店で更にミソ串かつをガボッと頼み、獺祭を呑みつつ食べまくりました。
久しぶりに呑んだ獺祭でしたが、今回呑んだ獺祭は美味かったですな。獺祭にもいろいろありますが、あれはどの獺祭だったのだろう???と気になりながらの酔い酔いの帰宅となりました。w

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2015年9月23日水曜日

やってもうたVW

やらかしてますねVW。

環境保護運動における、先進的リーダーとしてのイメージを持っていたはずのVWグループがマジですか?というようなマヤカシの術を使ってアメリカのEPAを騙していたというもの。
何となくこの4月の段階からリコールという術を用いて改善を試みようとはしたみたいなのですが、どうやら効果は無かったようで・・・。

FIFAを外から追い詰めた「手の長〜〜〜〜〜い」アメリカのことですから、一度怒らせると徹底的に追い詰めてきます。
結局は何も無かったトヨタのような例でさえ、企業が持つイメージに対するダメージは巨大です。
しかも今回は犯罪とわかってやっていたというトヨタとは全く話の違う大スキャンダルです。
アメリカという国はやるときは何でもやりますから。今回のように「既にクロ」判定が出ているようなケースでは1100万台のターボディーゼルエンジン搭載車に対する一台一台への懲罰的罰金と、オーナーからの集団訴訟もしくは買い戻しによる巨額の出費は屋台骨を大きく揺することになります。

一説によると兆単位の支払いが必要になるかも?とのことですし、純粋に消費者への対応に対してだけでも既に邦貨にして9000億円弱の引当金を「まずは」積んだとのことですので、これから先はどれほどの課徴金がVWに課されるのか無関係の国の人間である私にとっても目の離せない話になってきました。

何と言ってもVW、アウディは私にとっても購入検討の中に必ず入ってくる車種を持った会社でしたから、今回の騒動で残念ながらそのイメージは大きく毀損されましたよね。
中古車の価格自体も新車の売れ行きも多分、この2社は二桁%の減少を記録するのでは無いかと想像してしまいます。
さてこれからの数年間、VW,はどう立ちまわるんでしょうか?ヨーロッパはもとより、折角、日本でもディーゼルの印象がポジティブなものに変わってきてたのにそれまで変えちゃったですよね。ネガティブに・・・。

ヴィンターコーンの辞職だけでは「到底」済むような話では有りません。しかし彼は権力闘争でピエヒには勝ったというものの、晩節を汚しましたね。

ところで、、、他の会社はこんなことしてませんよね???(昔は多くの会社で有ったという話ですが?)

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2015年9月22日火曜日

マンション引っ越しへの準備追い込み・・・のはず w

知らないうちに・・・と言うのはウソで、怠けているうちにあっという間にマンションへの移動が目前に迫って参りました。

本当にもう全くと言っていいほど「結局は」頭の中で思考実験をしただけで、ダンボールの収集以外何もしておりません。まあ、この余りの無計画ぶりを隣でもし嫁さんが間近で見たら多分卒倒して吐くのではないかと思われます。w

結局、引越し業者はどこも頼みませんでした。
同じ職場の運転部の若いお兄さんにバイト代と仕事後の寿司とお酒でお手伝いしていただく事になりました。
オマケに車は病院のでかい日産バネットを借りて済ませることに。結局、赤帽を13,500円で頼めば、バイト代とお寿司お酒代を払うよりかは間違いなく安く済むのでしょうが、どうせなら知り合いの暇をもて余すお兄さんに手伝ってもらって底にお金を落とすほうがよっぽど潤滑油の落とし所としてはベターと考えました。

ベッドもテーブルも少々傷がついたくらいではどうも気にならん程度の製品なので、何かがあろうとそこも目を瞑っていこうということで!
どうせ嫁さんが帰日したら、自分の好みで何かを揃えるという行為を時間をかけて行う中で私の選択したものは排除の対象となる可能性が「非常に」高いので、それで良いのです。w

まあ、今回買ったマンション自体がもし私が死んでも家族に住む為の「箱」は残しておいてあげたいという気持ちから購入したものですので、その中で何をどう揃えるかというのは私にはほぼ何の関係も無いことなのでした。

私自身、基本的に物欲というものがマアマアあっても、最終的な購買欲(余力?w)は余り無い人で、こういったことにはとりあえず全くコダワリが有りません。まあ、部屋は「適度に物が少なくて気持よく過ごせる空間であればそれで良い」というくらいのものです。

それにしても、帰米のタイミングと鍵渡しのタイミングと引っ越しのタイミングと、、、何と言うかワタシ的にはなんとも間の悪い日程が揃いすぎ。

しかしまあ、終わってしまえばほぼ何事も笑い話です。w

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家族として死を受け入れる事

最近、ほぼ毎日のように患者さんが亡くなられています。

自分の患者さんだったり、他の先生の患者さんだったり。死因ももちろん様々ですが、最近は多くの場合その殆どは加齢に伴う老衰が原因といえるものがほとんどでした。無論、亡くなられない時は誰も長い間お亡くなりにならないようなことも有るのですが、続くときは比較的一週間で二、三人お亡くなりになるというようなこともあります。

多くの方は八十代後半、九十代、そしてもう少しで三桁に達するようなお年の方々などが多く、その年齢を見ても私の感覚的にはもう天寿。この歳にもし自分が亡くなれば親戚や家族にはお祝いしてほしいなと思うほどのお歳です。
六十代後半でも、年に数回亡くなられる癌患者さんのケースなどはお亡くなりなられると正直「亡くなられるには若すぎる」と感じてしまいます。

家族の方々の反応も当然のように様々。いくら入院されている方が御高齢であろうと、心の準備が出来ない状態でのお別れは誰にとっても辛いもの。特にその可能性が低かったような方で突然と言えるような最後を迎えられたご家族の方の中には驚き嘆かれる方々が多いのは当然です。

心の準備が出来た居ますとおっしゃる御家族の中にも、やはり最後を迎えてみたら御家族、御親族が現世から去って行かれることに対しては取り乱される方もいらっしゃるのもまた事実。
現代の日本という国においては若い方に限らず、大概の年令になるまで人の死というものを実際に見たことがないというような人はゴマンといるという調査結果を何処かで見たことがありますが、それだけ死というものが家族の日常から切り離された形で存在しているということでしょう。

結局、病院での看取りということが世の中の大半の方における現世とのお別れの場所となってしまったこの国ではそれも自然とそうなるというか、致し方ないことなのでしょう。

しかしいつも思うのは、順番を超えて亡くならないこと。
それは家族を二重に悲しませないための最も大切なことだと考えるのです。

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2015年9月21日月曜日

白寿の婆ちゃんをお見舞いに・・・

今日は当直終了後直ちに家へ戻り準備をして近江八幡の病院に入院している98歳(数えで白寿ということで町内会からタオルケットを貰っていました。)の嫁さんの祖母に会いに行きました。

相当具合が悪いというか、老衰のために相当弱っているということをそのケアをしている従姉妹からLINE経由で定期的に連絡を受けて知っておりましたので、この連休初日を使って命あるうちに是非行っておかねばと考え行動開始。
近江八幡に着くと、そこには軽自動車に乗った従姉妹が待ってくれていました。

直ちに近江八幡のヴォーリズ記念病院に連れて行ってもらいました。

途中、連休のために大勢の観光客たちが居るエリアを抜けて行きましたが、この辺りは本当に歴史の匂いに満ち満ちている静かで良いエリアだと毎度訪れる度に思います。
病室に案内してもらうと日曜日の病院は静かそのもので、看護師さん達の姿もまばらでした。奥の方の部屋に案内してもらうと、そこにはすっかり弱ってしまった嫁さんの祖母がすやすやと眠っていました。

最初はその寝顔だけを観ていたのですが、やがてお婆さんは目覚めました。
私が顔を近づけると、びっくりしたような感じで、自分が見ているものが信じられないというような顔をしていました。
しかし、そのあといろいろと語りかけていくと相変わらずお婆さんは98歳でも頭脳は明晰で有ることが容易に理解できるような反応が続きひと安心しました。
ただ、この春からそうでしたが、既に声は殆んど出せなくなっておりましたので、お婆さんはジェスチャーで意思表示をします。

ベッドの上ではおもいっきり21世紀のテクノロジーの賜物であるiPhoneのLINEを使って、夜中のアメリカの嫁さんと息子を呼び出して動画を見せて嫁さんからお婆さんに喋りかけてもらいました。
それをじっと見入っていたお婆ちゃんはやおらiPhoneを私の手から取り上げると、それを自分の胸に抱きしめて愛おしむようにしていました。

それを見ていた私の胸には熱いものが込み上げてきたのですが、それを押し隠し話を続けていくうちに時間が来てしまいました。ずっと耳元で顔を見ながら話し続けていましたが、お婆さんの姿を見ると冗談抜きで去り難く、思わずお婆さんの頬にアメリカ流でキスをしたところ、恥ずかしそうに顔を両手で覆ってしまいました。
その後、もう一度お婆さんの耳元で「お婆ちゃんがいてくれたおかげで嫁さんのXXを見つけることが出来て、子供も三人も授かり人生を充実させることが出来ました。本当にありがとう!」と言ったところ、もう一度顔を両手で覆ったあと今度は私の手を握り顔の方へ寄せていきましたので再びお婆さんに頬擦りをしました。

ほんとうに可愛い婆ちゃんです。
しかし、時間も迫り、その婆ちゃんの元を去る時にお婆さんがもう(多分わざと、、、)私の顔を見なくなったのを見て、帰りしなは泣けてきました。もしかしたら生きているうちにお互いを観るのはこれが最後ということを問わずとも考えてしまう二人だったのだと思います。

近所にある家族の墓にはお婆さんの御主人、つまりお爺さんが眠っている墓があったのですが、その墓を綺麗にゴシゴシとタワシで擦り洗いしてお爺さんに語った後その場を去りました。
お婆さんが少しでも安楽な最後を迎えることができればと願わずにはいられませんでした。

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2015年9月19日土曜日

奇跡ではない!

奇跡が起きました!

と、思わず言ってしまいそうですが素晴らしいことが起きました。
皆様ご存知のラグビー・ワールド・カップでの日本の勝利。しかもその勝利の相手があのスプリング・ボックスですから・・・。彼の地イングランドの人間達をして「WC史上最大の番狂わせ」だとか、「ブックメーカーの掛け率900倍」などと書かれていました。

しかし、二点差とはいえ、そのファイティングスピリットに溢れる頭脳プレーと果敢なタックルに満ち満ちた試合は、この四年間の間、オージーの父と日系人の母を親に持つジョーンズ・ヘッドコーチの類まれなる指導能力と、その優れたコーチを信じて「俺たち以上に練習してきたチームはない」とまで自分達自身に自信を持って言わせるだけの練習をしてきた本人達の努力に他なりません。

勇猛果敢に乗り込み、全ての予想を裏切って相手を疲弊させ戸惑わ、勝負を諦めずに最後の最後まで王者と「まさしく」互角に渡り合ったBrave Blossomsは実は勝つべくして勝ったという確かな素地があったのです。
これだけの相手をして奇跡の云々というようなことは絶対に有り得ず、実際に互角以上に戦えるだけの準備があったからこそあそこまで闘い、そして最後にスタミナと戦闘意思と運があった方に勝利の女神が微笑んだということでしょう。

二点差とはいえ、最後にPGではなくスクラムを組んだ所にそれだけの「国家代表の威信」をもった男らしい選択の意思がハッキリと見えたと私には思います。同点は選択肢に無し!勝つか負けるか!
こんな格下、、、と「思っていた」チームにこういった感じで最後の最後まで低いタックルでボコボコに止められ、かつ走り負けしてしまっている王者の内心は如何にと考えると、最後の瞬間は間違いなく勝つ為の準備の差がその二点だったんだろうと考えます。

最後のほうはほぼ全観客が日本の味方!。w やっぱみんな当然のごとく「弱い」と思ってる奴が強い連中をコテンパンにするのはどこの国でも大好きなんですね〜!

ボートのオリンピックチャンピオンの発言もそうでしたが、結局は準備の差と闘志の差が勝負事を決めるんだな〜って思いました。最近、日本のナショナル・チームが、強豪ウルグアイやジョージア相手に勝ったりしているのを見て何か違うぞ〜!って感じていたのですが・・・。
それにしても自分が生きているうちに日本がスプリングボックスを破る日が来るなんて、正直なところ一秒も想像していませんでしたよ・・・。医学部の頃ラグビーをしていた自分には魂を揺さぶられた試合となりました。
次のスコットランド戦はどうなるんでしょうか・・・。元同僚のスコットランド人にメールは送っておきましたが。w

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娘の子供っぽさに激怒

今日は散々な日でした。

娘のfirst semesterのお金を準備するために、大きな借金を返し終わり、そのあとからそれまでに苦労して貯めていたなけなしの貯金を銀行から全部引き出して、アメリカに送金しました。
しかも、国外への送金というのはネット上では通常は邦貨にして100万が限度。それを変えることもある程度は出来るのですが、こういった自体は想定していなかったので安全のためにむしろ送金限度額は一日100万に制限していました。

ところが、今回送らないといけないお金はその2.5倍。
しかも日本では来週からシルバー・ウィークなんていう長く日本を離れている間についたのでしょうか?わけのわからん長期連休が入ってきますので、それまでに送金しておかなければ余計に一週間の無駄な時間を無為に過ごすことになります。娘のためにもそれだけは絶対に避けたかったので送金は今日するというのが私の中での「絶対条件」でした。

ところが、本日は金曜日で午前中はフルに私の外来日。とてもではないですがそんなことはやってられません。
仕方がないので、4つの受け持ち病棟に電話をかけて昼休みも含めてチョットだけ長めの自由時間を頂きました。新患さんの割当てもあったので、本当は速く速くと気持ちが焦っていたのですが、やらないといけないことはやらないといけないということで、他の先生に2時間ほどのヘルプを頂いての近所の銀行詣ででした。

UFJでは対面式のものよりも、個別ブースでテレビ電話で話しながら送金するのが最安ですので、それを利用して送金開始。スムースに事は終わりましたがいくら二時前にそれが終わったところで、UFJの送金システムがそのペーパーワークをその日の午後までに終わらせてwire transferしてくれなければ全てはパーです。

ドキドキしながら今日の夜遅くにアメリカのバンクア・カウントを調べてみたらもうきちんと送金分はアメリカに送られていました。
そこから先の仕事はまさに娘がバンクアカウントから振り出して大学のウェブサイトでtutorialに従って送金するだけなのですが、何十篇電話してもメールしてもラインしても反応しません。
金はお前のために使うのにその態度は何だ?ということで、いい加減ここまで苦労してかき集めた金のことに関する事案に対する無関心と無責任に私もブチ切れて、嫁さんに「もう金は振り込むな」と指示しました。

もうなんというかね、自分では数万円のカネを集めることがどれほど実社会では大変かを理解させることに私は失敗してしまったようです。
来月から馬鹿娘には送金はしないことにしました。来月から金の回らぬ苦労という言葉を早速知っていただきましょうかね。小銭はなくとも多くの場合死にはしませんが、そのせいで死ぬより辛いことがいつでも現実に起きることを身をもって体験していただきましょう。

学習の良いチャンスです。

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2015年9月18日金曜日

ヤッパリ俺にはわかんね〜

今の私にとって勉強の中身以外でもっともわからないことの一つは携帯電話の料金です。

携帯の料金と言っても、今回のようにiPhone・携帯電話を新機種にアップグレードさせようかという時の各社から出される様々な料金プランは、ほとんど「昔見た駄菓子屋の紐付きくじ」でどの紐を引くか全くわからないのと同じ感じです。少なくとも私には。w
各社のプランをきちんと再まとめしてくれているサイトが幾つもありそれはそれで便利なので参考にはなるのですが、事態はウェブサイトのまとめほど単純では有りません。というのも、こういった各携帯のサービス提供会社各社の本社が出してくるプランに加え、屋上屋を架すがごとくアチラコチラのローカルの携帯の代理店が独自のサービスプランをチラシで配ってくるので、計算は更に複雑になります。

一年間だけ、独自に毎月先円引きとか、会社乗り換え時の解約違約金全額負担いたします!とか、家族割と各家庭でのネット契約をしてくだされば更にXX円割引、、、ときてはもう、多項式を解いている気分です。

量子コンピューター持って来い!って程でないのは間違いないのですが、情報を近所の各代理店から集め、かつ配られたチラシのhidden contract/paymentを読み解く必要を考えると、「まあ、このあたりで手を打とうか」となってくる人がほとんどではないか、いや、それさえも考えないで、ひたすら最初契約した会社を選び続けているとか言う人が多いのではないかと考えてしまいます。

ましてや年寄り連中は間違いなく・・・。w

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2015年9月17日木曜日

医者と服薬

コンプライアンスという言葉があります。

まんまの言葉でもっとも相応しい訳語は遵守とか柔軟に従うこと、とかいう感じでしょうか。
医療の世界では服薬コンプライアンスと言う言葉がありまして、患者さんが医師の投薬処方にどれほど従ってくれているのかという一つの測定値のようなものがいろいろと「統計値」として語られたり、医師側の「希望」として話題になったりします。

今日、ある病院でエレベーターに四人の医師がたまたま乗り合わせました。その中には勿論私も含まれていたのですが、この「コンプライアンス」の話が出てきて短い相乗りの時間に笑い話になりました。

笑った元は医師自身のコンプライアンスの事でした。
入院や外来の患者さんには「Aの薬は朝、昼、夕の各食事の直前に服薬して下さい」とか、細かく分包した薬を渡して「きちんとこれとあれとをこの期間飲んでまた来院して下さい」等と言っている癖に、オノレら自身は多分最も最悪のコンプライアンスを持っているようです。

入院患者さん達が、前医からの退院時処方を次の病院に持ってきてチェックしてみると、ほとんど渡された薬を飲んでいなかったり、自分の勝手な判断で一部の薬を抜いていたりなんて言うのは実に実に日常的な光景でして、それをとりあえずは「ま〜、またかいな〜」と言う感じで看護師さんと苦笑したりはするのですが、実は笑っている自分の服薬コンプライアンスはその患者さんのことを全く笑えない同一レベルだったりというブラック・ジョーク。

変に薬の知識があるせいで、オノレでいろいろと匙加減を考えて増減させるのはマアまだしも、結構飲み忘れも有るんです。
他人の病気に関しては医者って常に岡目八目なんですよ。ハイ。

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2015年9月16日水曜日

ホワイトハウス訪問とな?

嫁さんからラインが入ってきました。

読むと短文で、「そういえ###(娘の名前)は今日ホワイトハウスで教育をテーマにした懇談会のようなものに参加する」とのこと。
寝ぼけた頭の中で???となってしまいましたが、これはどうやらこの夏にホプキンスからUCLAに研究のためにインターンに行ったご褒美という感じで、UCLAでお世話になった教授が娘の為にセットアップしてくれたものらしいです。

私にとってホワイトハウスというのは「鉄柵の向こうにあるエリプスのある広場の芝生が綺麗な白い建物」くらいの認識しかありませんので、そこにいるアメリカの代表たる大統領がそこに居るというのはあまりに遠い世界のことで意識するにしてもそんなに強いものではありませんでした。

そのホワイトハウスが実はもう少しで身近なものになったかもしれないという一瞬が、(アメリカで研究職について大学院生を指導していた時に)私の知らない間に進められていたことがありました。
後で知ったことなのですが、私が教えていた大学院生の歯科医の女の子の御主人がホワイトハウスでMarine Oneのパイロットをしていた時に私をホワイトハウスにゲストととして迎えてくれることを考えていろいろ取り計らってくれていたのですが、どうしてもセキュリティ・クリアランスが取れなくて断念したということがあったんです。(俺はやっぱり危険だったんだろうか?w)
これが皆さんご存知のヘリコプターに大統領が乗っている時、コールサインMarine Oneをもつやつです。
残念ながら私は訪れるチャンスは有りませんでしたが、娘は訳のわからんままどうやら幸運をモノにしたようで・・・。
まあ、運というのは正しい時に正しいところにいるための努力をしたものにしか通常は訪れませんのでそういう意味では何らかのキャリアのステップにはなったのかもしれませんが。

それにしても、そのキャリア構築のための金をヒーヒー言いながら捻出してやっているのはワシなんですがね!
ちっとは感謝しろや!って、聞いとらんわな〜w。

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2015年9月14日月曜日

婆ちゃんアブね〜〜〜〜!!!!

原付きを借りて少し運転していた所で恐ろしい光景を目にしました。

80半ば?と思われる腰の曲がったお婆ちゃんが、幅7−8メートルの対向二車線の道を右から左へ横切って歩いているのですが・・・。
その歩き方が本当に本当にヨチヨチ歩きの赤ちゃんよりも遅くて、もうナンカ見ているこっちが原付き降りて助けてやらなはねられて死ぬぞい!というほどのハラハラ具合。黒ひげ危機一発なんてこの光景に比べたら屁でもありません。

まず右から車の流れガン無視で登場したこのお婆ちゃんの姿を最初に見つけたのはどうやら私。俄には信じがたい眼前の光景に戸惑いつつも自分の後ろを見てみると私の後ろにも次第に車が近寄ってきますが、さすがに私が道の真中で原付き停めてお婆ちゃんを見守っていたので気づいて留まってくれています。
対向車線の軽トラのオジサンも口を半分開けながら呆然。w

私の後ろにはミラーで見る限り6−7台の車が停まっていましたが、静かに待ってくれています。周りの通行人達も、通り過ぎつつもおばあちゃんの動きからは目が離せない感じ。
お婆ちゃんが交通の流れガン無視で道を渡り終わった後も、歩道の左端奥まできちんと移動したのを確認するまでわざとスタートを遅らせてやっと出るまで多分2,30秒くらいだったでしょうか・・・。

その姿を見て、「交通事故の犠牲者の多くは高齢者と子供」と言う言葉が何度も何度も脳裏をよぎりました。
無理もないです。この、超常現象レベルのお婆ちゃんの道の横切り方を見ていると、そりゃあ自殺行為とほぼ変わらないレベルの行為ですもん・・・。

やっぱり、爺ちゃん婆ちゃんは、子どもと並んで交通弱者です。はねた方もはねられた方も不幸になる。
それが交通事故。飛ばして得なことは何もありませぬ。飛ばすくらいなら早く家を出ましょう。前の車との車間は詰めないようにしましょう。
高度な自動運転制御がなるべく早く普及して欲しいもんだと強く願わざるをえないような今朝の風景でした。

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2015年9月13日日曜日

シリア難民の受け入れは・・・

ヨーロッパのほうはシリア難民のことで大変なことになっているようです。

特にドイツは多くのシリア難民の最終目的地になっているようですが、人道的見地とか人権というのは拒否できない錦の御旗としてよく使われますが、実際はこれは大変に危ない言葉で、これを一方の人間が絶対的正義として使うとそれはそれは際限なき使用をされる可能性が濃厚です。

実際にそうやってヨーロッパではグイグイとそれで大量の人が各国に押し入ってきているわけです。
特に貧しい国と戦争に巻き込まれた宗教要因の避難民が。

私は貧しい国からの難民や戦争から逃れてきた難民というのは可愛そうだなと思うのですが、その人達を国家の構成員として受け容れるのは物凄い覚悟と準備がいると思います。安易な気持ちで難民受け容れを行うとそれこそ百年の禍根となるような事態が起きかねないと信じています。一時的な支援は容易に言い出せてもそれを永続させるのが移民政策。難民キャンプ支援とは話のレベルが違います。

成功した安定的国家は経済的に貧しい国の人間や戦争難民を無条件に受け容れなければならないというような法律を施行したらそれこそ国家は大乱の時代を迎えるでしょう。最初に書いたように緻密な受け容れ計画を作成したとしても、動物やペットを輸入するのとは全く次元が違うのですから。

最も大変なのは言語や人の肌の色なんかではなく、持ち込まれる生活習慣とその後ろ側にある宗教の違いでしょう。
生活習慣は、やがて慣れるとしても、日本のような「基本的に」多神教的な考え方、緩い宗教観を持つ宗教に対する受け入れスペクトルの広い国家であればこそ、一神教の信者が持つ他の宗教に対する、そして自分以外の属する宗教を信じるものに対する「一部の」狂信的な信者の存在は法的にも日本としては受け容れられない考え方ではないかと思うのですが。

信教の自由、思想発表の自由というものがテロという形で脅かされる可能性を高める要素を人間の集団として日本に移植するというのはどう考えても獅子身中の虫を望んで輸入するような行為で、子孫のために大きな災厄をもたらした世代として怨嗟の的になるのでしょうが、そのころはその世代はもう消え去ってますからね。多分。

人種、肌の色、言語、性別、思想、宗教、年齢等々は差別の対象としては存在してはいけないと思いますが、そのなかに潜む容認出来ない危険というのは宗教的排他性そのものだと思います。この特殊な排他性を持つ集団の移植を容認するということは、相手の神を信じないあなたを決して受け容れない隣人を永遠に容認するという覚悟が出来、しかも実際に容認するという日々が送れなければならないということに他なりません。
現代の日本社会は、排他的な行動と思想を信条とし、それを暴力という形で表明する者や集団は慎重にかつ厳粛に排除しなければならないと強く思います。移民政策における、移住者に対する際限無き権利の容認は「理想主義者の夢想」に留める義務が現実主義者には有るのではないかと。

移民を許容するのは慎重なスクリーニングと十分な準備があって初めて初めて成功といえるものになるでしょう。
しかし、実務上は「そうした十分な準備をして受け容れたとしても」実際に起こる融合・同化の過程と多様性の容認というイベントが国民的合意として普及する事には多大な困難を伴うものになることであろうことは間違いないでしょう。

シリア難民を受け容れるのはベトナム難民を受け容れるのとは全くワケが違うのです。

99%の人間が穏健な考えを持っていても、「神の名のもとに」という絶対正義を振りかざす極々少数の狂信的人間が何をしでかすかということを2001年にアメリカで見てかつ経験した私には、浅はかな見通しで自分の家族を危険に晒したくはないなと素直に思うのですが、私の考え方はヤバいですかね。

多様性大好きというのを信条に持つ私なのですが、宗教のもつ狂信性にだけはどうしても昔からアラジックなのでした。気分を害された方がいましたら申し訳ないです、申し訳ありません。ハイ。

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2015年9月12日土曜日

瀬戸の陶器市

昨年、日本に帰国して以降すぐに、瀬戸に陶器市というものがあるという情報をキャッチして待ち構えていました。

しかし、昨年は当直その他の諸々の事情で開催日には行くことが出来ず、しょうもないただの週末に瀬戸に行って幻滅感を味わっただけで帰ってきました。
というわけで、今年もたまたまだったのですが、その陶器市開催の情報を直前にゲットすることが出来ましたので、とことこと夕方過ぎに瀬戸まで行って参りました。

瀬戸につくと、そこは人人人で、前回行った時のいつもの瀬戸とは大違い。
テント小屋が、川にそって右に左に立ち並び更にその奥の方でも大量のテントがどこまで続くのやらと言う感じで軒を連ねていました。
どこまでもどこまでもこんなかんじで続きます。
店は陶器を売っている店とそれにひっつくコバンザメのように店を出している夏祭り系の飲食店がありました。陶器を売っている店も実はこの瀬戸だけでは無くて、それこそ全国津々浦々より集まってきては今回の「陶器市」というイベントに己の作品や商品を売りに来ている人達でした。
完全に商業系の店もあれば、陶芸家がその「作品」を売りに来ている店もあり、値段もピンきり。

ナルホド、陶器市っていうのは別にここだけの人た地がここでローカルにものを売っているんじゃなくて、陶器を作るアチラコチラの人達が、各地の陶器市で顔を合わせながら商売をしているんだ!っていうのがよく理解出来ました。(判っている人達には何言ってんだお前?ってかんじでしょうが。)

場所割は抽選だそうですが、場所がいいから商売になっているかどうかっていうのは微妙に違うんだそうで、何だかこう言う地割りをされてものを売る商売っていうのも奥が深くて大変そうです。
全国からいろいろな窯が集まっています。
色々と異なる趣向の店が沢山出ていました。
ここでアメリカの元秘書さんたちへのおみやげ用の猫と犬を買い揃えました。
途中では花火の打ち上げも。
コーヒーマグも本当に無数にありましたね。
広すぎ、数ありすぎ、まわるのにも二、三時間では到底無理です。
結局、主催者がが言うところの時間切れが八時半か九時頃だったのですが、三時間くらい使ってまわったにも拘らず、まわれたのは多分全体の3分の1も行っていない感じでしょうか。
来年度以降の学習項目としては、可能であれば昼くらいから行って目ぼしい店はマークしておくこと。その上で多分(?)二日目の夜にはきっと大きな値引きがあるので、その時間を狙っていけばきっと安く買えることでしょう。

今回の戦利品はビールを飲むための白と黒それぞれ別の色の単色系のコップでした。まあ、日常のものですね。
一個二百円。6個買って一個分負けてもらいました。w
速く嫁さんと一緒に回れる日がくればいいなと強く思った夜でした。

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