2015年5月22日金曜日

生保の援助のあり方

病院で働いているといろいろな患者さん方とお話する機会があることはここにもよく書いています。

中には当然の如く、人生の中で様々な運命の荒波に呑まれ、生活保護のカバーのもとに生活を送られる方々もおられるわけです。この方々もこれまた当然のごとく千差万別、多くのタイプの方々が居るのですが中には生活保護受給自体を非常に心苦しく思っておられる方も居ます。
しかし、中には当然その逆の人もいて生活保護を受給していることに関してもう何の躊躇いもなくなってしまい、ガンガンその権利及び受給している金銭を声高に要求する極端な人もいます。

私が本人たちと親しくお話をして、その生活保護の受給に至った過程を伺うチャンスがあった方に聞いたものでは、かなりの確率で本人の行動が原因になって人生の上で失敗するドツボにはまっているというものが多いこと。それはチャレンジというよりもこれまた愚かしい行動によって借金を作ったりせっかく結婚して所帯を持ったあとに家族から絶縁されたりとか、、、。アルコール、薬、ギャンブル、暴力等など、その種類を数え上げたら本当にきりがありません。

しかし良く考えると、人間の集団の中にはそういったいわゆる「まっとうに生活をしてきた人」からみると「出鱈目」に見える人達も何時の時代にもどのエリアにも居るわけで、その人達の数は決してゼロになることはないでしょう。何故って、それが人間の遺伝子の持つ多様性の一つだからだと私は思います。それに、そういう行動をとってしまう人達の中には明らかに精神的な疾患の素因や一般的な知能・理解力などの点で問題がある方もいるのも忘れてはならない事実。
但し、例え知能等にある程度問題があっても、きちんとした環境で正しく育てられた幸運な人はこのようなシステムとは縁なく一生を過ごせる人達も沢山居ます。難しいものすね。

無論、社会全体としてはこういったトラップに陥らないように自活できる人達をなるべく沢山増やすことが大切な教育の要素であることは大事な事実なのですが、それもある程度その人が持っている運によっても左右されるということもこれまた事実ですしね。
同じ日に生まれても、極貧から上昇して運をつかみとるような物凄い人もいるのですが、そう言った人は当然の如くやはり稀。その反対に劇的な金持ちの家に生まれても、死ぬ時には路上でボロを纏って亡くなる人もこれまた普通にいるわけで・・・。前者は努力は当然ですが、そこに至る天地時の利というものもあったでしょうし、後者の場合も全てが己の責任だけでそこまで落ち込むということもこれまた少ないのかなとは思います。

しかし、本当に生活保護を使ってもらうにしても、私が個人的に感じるのは「援助というものは金銭を与えるだけでは絶対にその人を幸福にしない」ということでしょうか。それに付帯して必ず、「教育やリハビリ」などのような個人が自分を改善していくような何らかのチャンスを掴んでもらう付帯事項を与える必要があると考えています。

これは国際的な援助でも一緒で、援助というのは金だけ与えていると必ずその国を金を使うだけの怠惰でダメな国にしてしまうという厳然たる事実ではないでしょうか。金と食べ物を与えてもその人達は「ただ生きるだけ」の状態を確保しただけであり、そんなことを続けていても当人たちには何の改善ももたらさないどころか、それに頼ってしまうだけの人間を大量に産むだけの話です。
逆に言えば、その国を長期にわたってダメにしようと思えば、当然、敵国政府の考えることは・・・ということですよね。w

その人の元々持っている能力に応じた力を引き出す訓練を施すことこそが援助の本質だと思います。保護は保護だけで終わってはいけない。保護から自立への橋渡しを真剣に考えることがすべての始まりだと思います。まず緊急保護。そして自活自立への援助へ。
そういった方法を開発していく事こそが失敗を恐れずチャレンジをする人間を産み出す国に変えていく礎になるのではないかと考えます。時間はかかるでしょうが。

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