2015年4月30日木曜日

Sweet Sixteen !!

数日前に下の娘の誕生日が来ました。

16歳です。
アメリカでの16歳はsweet siteenという感じで「大人の仲間入り」という受け取り方をするようです。
法的にはどういう取り扱いを受けるのかその変化は知りませんが、この辺りはドライバーズライセンスの事くらいしか知りません。バージニアではlearner's permitが15歳と半年、restricted licenseが16歳と3ヶ月、full licenseが18歳かららみたいですので、後もう少しで深夜や朝だけは使えない制限付き免許証を発行されることになりますかね。

多くの家では16歳の誕生日に関しては特別に大きめのことをナンヤカンヤとするみたいですが、我が家では家にいる息子と嫁さんが娘にケーキを作って誕生日のお祝いの写真を撮ってたみたいです。
後はベトナム料理店に時間のあるときにでも行くようなことを言ってはいましたが?私は嫁さんに、「服でも買ってあげるように〜」とは言っておいたのですが、どうやら大きな試験があるようでなかなか外に出ることが出来ないようなことを言っていました。

本当にこの前生まれたような記憶があります。
嫁さんの脇に私が立っていて、頭から生まれてくる娘をビデオで撮りながら感動したあの一瞬が本当にまるで昨日のような、、、空気の感じ、嫁さんと話したいろいろなことなどが頭の中でサーーッと明白に蘇ってきます。
大きくなってくれました。立派に育ってくれました。親は無くとも子は育つ!を地で行ってくれるような子です。w

本当にアメリカン・ジャパニーズとしてアメリカの空気と水と栄養を吸いながら大きくなってくれました。アメリカという国の懐の広さに感謝。娘を育ててくれた周りのアメリカ人達にも感謝です。

とにかく元気で健康に育ってくれたこと!それだけでもうお父さんは充分。
勉強とか容貌とかそんなのはやっぱり娘の健康な成長があればこその贅沢なリクエストであって、二の次、三の次ですわ、本当に。

生まれてきてくれてARIGATO!

これからも周りにいる人達を幸せにできるようになる為に精進を続けていって下さい。

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2015年4月29日水曜日

ボルチモア騒乱の続き

娘からメッセージが入ってきました。

とりあえずは街中はほぼ落ち着いており、悪い方への展開は今のところ無さそうです。
ポリスと州兵ががっちり街中を抑えていては暴徒も流石に小規模な活動しか出来ないのでしょう。

娘の行っているホプキンスからは学生達が今回の警察の行動に関して抗議のデモンストレーションを行っているようです。抗議は騒乱を起こした方にではなく「変死の元を作った警察」に対する抗議ですね。
ま、大学生ですからこの手のことに関しては必ずと言っていいほど反対するのは公権力の方向ですが、実際にアメリカではこの手の黒人やヒスパニックに対する逮捕劇に絡んで余りにも理不尽な逮捕や不審死が大量にニュースに出てきていますので、大学の学生達はこの手の話題にここ最近ずっと怒りを持っているようで、今回それが身近に起きたことで学生達の学生達の怒りが直接の抗議行動になったようです。

まあ、私としては実際にはこの手の事件が「増えた」というよりも、動画としてキャプチャされるチャンスが増えたことでそれが可視化されてしまい、表沙汰にならず闇から闇に消えていたものがネット上にガンガン流れてしまい、皆がだれでも自由に見ることが出来る時代になってしまったということでしょう。

公権力側にいる人間にとっては「スマホおそるべし」、、、です。


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2015年4月28日火曜日

ボルチモアが燃えている!

娘とファイリングを終えたことでホッとしたのも束の間、娘から一言テキストで「お父さん、ボルチモアのニュース検索してみて!」とのメッセージが入ってきました。

嫌な予感がして、グーグルでボルチモアのローカルニュースを検索したところ、∑(゚д゚lll)ガーン!!!なんじゃこりゃ〜!というようなことになっていました。
もう皆さんも当たり前のように御存知かとは思いますが、Freddie Grayと言う人物の逮捕と不審死が誘引となって葬儀に集まった連中から火が着いた騒動です。
娘によると、どちらかと言えばボルチモアの東側に位置する大学の周囲はとりあえず大丈夫そうですが、バイトに行った途端、オーナーから直ちに帰宅するように命令されたそうで、帰りがけには重装備の州兵達が大量に街に出ていたそうです。
これらの騒動の中心は街の西側で、極めて治安の悪い地区ですので、ちょうど娘達の居るエリアからは反対側ということになりますが、、、。パトカーはぶっ壊されて燃やされてるし、警官たちは沢山怪我してるし、取り敢えず父親としては心配ですわ。状況が判明するまで家からは出るなと言ってはおきましたが・・・。

一旦何かあると、直ぐにこういったものが噴き出してくるのがアメリカの治安の悪い都市の日常ですが、最近はボルチモアも殺人の件数なんかもグッと減ってきて全米でのランキングをいい意味で大きく下げていたのに、ボルチモアまたやっちゃいました。
やっぱり未だに貧困と人種と犯罪はアメリカの中で大きな大きなコアになっているのは間違いありません。

これから数日どうなっていくのか・・・。いい方に変わって欲しいな。少なくともこれ以上の拡大だけは起きてほしくないです。

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2015年4月27日月曜日

娘のスカラーシップ

やっと終わりました。

長女の大学最終学年におけるスカラーシップの申請作業。
私の日本での税金のファイリングが対米用には日付に余裕があるため(6月)、ゆっくりしていたら、娘のほうのスカラーシップ審査の日付が4月末までということでいろいろな書類の取り揃えと再計算をガチャガチャとしなければなりませんでした。orz

基本的にはFAFSAとCollegeboardという二つのウェブサイトを通してすべての作業をするのですが、そこに書き込む数字の諸々が非常に微細を穿った質問であることと、揃えなと行けない書類が多岐にわたることです。
特に、W2フォームというアメリカで出される前年の所得証明を、日本からは源泉徴収票の翻訳書類と言う形で揃えないといけませんので、やたらと手間隙がかかるわけです。

娘と二人でiChatとメールでやりとりしながらのファイリングでしたが、その途中で娘と嫁の間で小さな言い合いがおきたりして私も苦笑いでした。

やっぱりこういったことは早め早めに済ませておかねばとは思っていても、私の娘も私もどちらも最後の滑り込みセーフを狙うタイプの人間なので、いつもこういう仕事をサッサと済ませてしまわないと気の済まない嫁さんから怒られっぱなしの親子なのでした。w
嫁さんの場合は学問においてはそういった焦燥感はなかったようですが、現実の社会に出たら日常生活に関する由無し事を右から左にスイスイと進めないことには強い焦燥感が発生するようです。

お陰でいつも助かってるだらしない親父です。w

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2015年4月26日日曜日

生き埋めにして殺したとかいう人達

何だか本当に救えない話です。千葉の18歳女性生き埋め事件

本当に脳味噌がガキのまんま(年齢的にも実際にガキですが)。レベルの同じようなショウモナイ人間が暇に任せて互いにつるんでホストに狂ったりしているというのはやっぱり親も、育った環境も、全てを含めて救いようのないもんだったんでしょうな。

想像に難くないのは、親もきっと禄でも無い輩だろうということでしょうか。偏見と言われても仕方がないというのは覚悟でやっぱりそう思ってしまう私です。LINEのチャットなんかも当直室のテレビで出ていましたが、もう何だかね・・・。送った加害者も、その相談を受けた元彼氏とか言うのも含めてどいつもこいつもどうしたらそんな会話が成立するんだ?と言いたくなるようなレベル。

生き埋めにされて殺された女の子の方も実に気の毒です。生き埋めの可能性があるとの報道ですが、その絶望感と苦しさは想像を絶します。全くもって許すことの出来ない犯罪ですが、百万円のシャンパンタワーを作って金を借り、その借りた金を返さずに揉めたりしていたという話が本当なら、、、それがもし本当なら、これ以外のその他のこの子の行動も多分、この愚かさに似た物があったのではないかと容易に想像されるわけですが。

犯行に関わっている人間が、タダの関係者っぽい人間まで含めて16歳から20歳程度で完結しているところなんかも何だか救いが皆無というか。お前ら何してんだ?としかオジサンには言えないんです。

小人閑居して不善を為す」昔の人はよくわかってます。

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2015年4月25日土曜日

ネットを使って守る詐欺被害

この前アメリカの家に帰った時にダイレクトメールであるプラスチックカードが配られてきました。

この手のダイレクトメールは良く送られてくるのですが、基本的なパターンは、、、
1)おめでとうございます。このカードの番号に貴方の情報を送ることで$XXXのギフトカードが送られてきます。
2)更にその後、$1000のVISAカードが送られてきます!
というようなものです。

まあ「タダほど高いものはない」という、昔からの至言を忠実に守る我が家としましては鼻でせせら笑ってはいるものの、詐欺もしくは詐欺まがいの宣伝がこの後どういうふうに進んでいくのか純粋に興味があります。
というわけで、常にこういったものの被害にあった人、もしくはそれを調べて体験してみた人のお話がウェブ上には大量に書き込まれているのを利用して調べ物開始です。

サーチし始めて約一秒。
直ぐに回答が浮き上がってまいりました。まず、このメールに書いてあるところに電話すると微細を穿って個人情報を聴きこまれ、その後は鬼のようなメールと電話の大攻勢が津波のごとく波状攻撃でやってくるそうです。
その被害にあった人によると、数千ドルもらっても絶対にペイしないようなレベルの酷い攻勢だそうで、最後には電話番号をスイッチして電話攻勢を避けた人もいるとのこと。それでも当然のように物理的な電子・及び実物のメールは止まらないわけで、、、。

やっぱ世の中うまい話などそうそうはないということですね。
触らぬ悪に祟り無しです。

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ゴミ屋敷の住人

テレビやWebでみるゴミ屋敷。

アメリカでも日本でも非常によく特集されたりしているようですが、やっぱり私にとっては「想像を絶する」という一言でしか表現できませんね〜。w
信じられないような大量のゴミの中に埋もれて生活し、信じられないような汚染レベルの風呂やトイレの中で「普通に」生活できるというところが恐ろしいのですが、一体どういう精神構造なのか私には全く理解出来ません。

まあ、完全に心の病気の人もいれば、そのちょっと手前の「勿体無くて捨てられない」の延長線上に居るような人もいるんでしょうが、一体全体「清潔への概念」というものはどうなっているんでしょうか。
人間や犬猫の糞尿、ゴキブリ、油にまみれた壁等が写真や動画でこれでもかと映され、時にはボロボロのソファの下に死んだ猫やネズミがあったり、、、。

正常な衛生感覚を持った人間の全ての想像を超えて行われる「清潔への挑戦」としか思えないんですが、この人達はほんのチョットした「要らないものをゴミ箱へ捨てて、最後はゴミとして出す」ということと、「使ったものを元に戻す」という整頓への基本が色々なレベルで出来ない。
そのうち到底人を家へ呼べないような状況になってしまうのでしょうが、驚くのは外に出ているときはキチンとした身なりをしているゴミ屋敷の住人が多いということ。見たところ年齢は本当に関係ないという感じですね。

興味深いのは「この手の人達」というのは昔と比べて果たして増えているのでしょうか、それとも昔からある一定の割合である世帯数の中で常に”あまり変わらない割合”で存在しているのでしょうか。
精神科領域で研究している人もいるでしょうし、社会学者の中で研究している人もいると思うのですが、詳細で信頼できるデータを一度、本などで見てみたいものだなと思いました。

それにしても、グーグルで「ゴミ屋敷」というキーワードで画像検索をして出てくる画像の凄さはやっぱり「唖然」と言う言葉しかありませんね。w
病院に来る患者さんたちのことに関して社会課の人達と話す中で、そういったゴミ屋敷の話が出てきてチョット書いた今日の話でした。

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2015年4月23日木曜日

二国間での税金のファイリング

税金のファイリングをほぼ終わらせることが出来ました。

「終わらせる」とは言っても、今年度の分からは到底私一人の力では終了させることの出来ないもので、お世話になっているアメリカの税理士さんの力を借りて(というと聞こえはいいのですが、実際はおんぶに抱っこ)の終了です。

私のように実際にはアメリカに住んでは居ない人間であっても、グリーンカードの保持者であればファイリングは続けなければならないことは何度かこのブログで書きましたが、今回も当然ファイリングは最大の関心事です。
実際のところ、大学からの退職時の給与の残りと娘のバイト代、娘の学校からのスカラーシップの計算、それとオバマケアに係る保険代の計算、そして私の日本における収入を計算した上で、日米二国間の税金に関する細心の取り決めを当てはめつつ、日本とアメリカの通貨換算のベンチマークになる値を計算してお話を進めるわけです。

まあ、それ用のタックス計算ソフトでもあれば良いのでしょうが、そのようなマイノリティーに対する計算をしてくれるようにはTurboTaxは出来ておりません。w
昨年まではなんということ無く済ませていたファイリングも、実際の控除に関する計算の詳細をこの税理士の方にお伺いしたところ、実際には去年まで行っていた税の計算においても、実は更に計算に入れなければならない要素の取りこぼし等もあったようで(娘のグラント)、再度資料を集めてアメンドメントを追加すべきか否かを計算したほうが良さそうです。

やはり、個別の事情まで考慮して計算を進めてくださるプロのレベルには到底敵わないということを再認識させられました。

結局「餅は餅屋」って言うことを痛感した今年のファイリングでした。

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2015年4月22日水曜日

昨日の続き・・・

結局、昨日去られた患者さんの息子さんが今日の朝、私が居ない時に病棟の方を訪ねてこられたそうです。

私は外来で居なかったのですが、病棟に居た昨日の事情を知るベテラン看護師さんが受けてくださって私の代わりに応対してくださったとのことでした。
非常に気の毒な結果になったようで、昨日の患者さんの息子さんの嫁さんは家から出て行ってしまったそうです、、、。
もともとは非常に優しい奥様だったそうですが、義母のありとあらゆる非道な罵詈雑言に耐えられなくなり、遂には同じように義母を罵り始めたとのことですが、息子さんの説明を聞く限りでは私的には「さもありなん!」と言う感じ。

完全な私見ですが、私だったらそんな義母は絶対に同居などさせません。これは絶対!21世紀の今、そんな訳のわからない人物を家の中に同居させて嫁さんの神経を無意味に擦り減らすようなことは私だったら「絶対に」許さないと思いますし、肩入れするのは嫁さんの方だと思います。(幸い我が家は実の息子より義理の娘のほうが愛されておりまして、、、。orz)

基本的に実家を出て、独立し、配偶者を得た時点で守るべき最大のコアは私にとって先ずは己の配偶者と家族達。実家は私にとってその次です。私も娘達には私達を二番目にすることを期待します。無論、お互いが守り合うことは大切ですが、自分の家族も守れないで実家を優先的に守るなどという選択肢は私の中では有り得ません。

してあげたいことと、できる事はの間には多くの普通の人間にとっては大きな開きがあるもの。常に気がけては居ますし、育ててくれた恩義には感謝をするものの、そうやって育ててくれた努力は私であればその配偶者と子供を守ることを第一選択にしてほしいと私だったら子供に望みます。

ともあれ、こういったことは各家庭にそれぞれある個別の事情に沿った細かい差異にもとづいて対応をするもの。私も出来るだけのことは両親にしたいと思うとともに、とてつもなくヘンテコリンな親を持たなくて幸せだったなとつくづく感謝しています。(まあ、これから先は判りませんが!!!)

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2015年4月21日火曜日

誰にも愛されない人・・・

今日は大変な日でした。

ある患者さんがある病院から術後リハビリの目的で入院してこられました。
しかし、しかし、しかし、、、。この患者さん私が今まで観た患者さんの中でも、と言うよりも見た事の無い初めてのタイプのモンスタラスな患者さんでした。
まあ、極端な言い方をすれば恐るべきプライドの持ち主と言いましょうか、自己愛性人格障害者と言うのでしょうか、私にはハッキリとは診断をつけかねますが、そういう方でした。

兎に角、病棟に居るすべての人が自分より劣っているという感じの物言いで、ありとあらゆる方角から看護サイド、医療サイドに難癖をつけて怒りをぶつけ当たり散らす。周りの患者さん達を「こんなボケた気違いと一緒にして私を押し込めるの!」そして更には、、、と、これ以上はここに文章にすることを憚られるような文言がずらずらと並びます。

実は前医からの報告にはそれらの人格障害のことは記入されておらず、「易怒性あり」とだけ書いてあったのですが、息子さんに後から伺ったところ、前医院でも毎日のように家に「お引取り願います」とのコールがあったという事実が判明しました。
当院での問題行動と同様に、そこでも看護師さんや他の医療人に対しても暴言等が続いたそうですが、そこでは暴力は無く看護師さん達がその患者さんを完全に無視することによって「滞在」することだけは許されていたとのことでした。

某女子大を御卒業の高齢者で、私の母親と同じ歳でしたが、息子さんとその奥様はもうホトホト困っておられるとのことで、いっそ認知症であってくれれば罪の意識なく施設に預けられるのに、等とボヤいておられました。
私は憔悴しきったその息子さんを見て本当に気の毒には思ったのですが、「内科病棟におけるスタッフに対する暴力は本来であれば強制退院の対象ではあるものの、倫理的に夜間に高齢者を外に押し出すような事は出来ない」と言って当院に迎えに来て引き取っていただきました。息子さんの御家庭の事も考慮し、少なくとも週末は居残れるようにいろいろと策を尽くして検討を重ねてみたのですが、不可能でした。

本当に苦渋の選択としか言えず、息子さんのお嫁さんも非常にこの方とは折り合いが悪く苦労されておられるとのことでしたが、認知症といえるレベルには知性が落ちておらず、人格障害という形で口ぎたない口撃やその他の物理的な攻撃をされ、治療も拒否される方は当院には置いておけないということで上記のような措置となりました。

迎えに来られた息子さんは大変良い方で、私と同じ歳だということも話の中で判り、いろいろと腹を割ってお話する時間も長かったのですが、結局入院から退院まで半日も居らっしゃらないという残念な状態での退院となってしまいました。

息子さん曰く、「蝶よ花よと何不自由なく我儘放題で育てられてしまった因果が、こうやって自分自身を苦しめているのに気づかない。悲惨です。」と、お母様の顔を遠くを見つめるように語っておられたのですが、その間も息子の顔をしっかりと見つめて、「何を貴方は他人に弱味を見せてるのよ!」等ときつく言っている姿を私も見せつけられ、息子さんのお気持ちを察するに、本当に遣り場のない無力感に襲われてしまいました。息子さんご自身も「こんなXXXX死んでしまったほうが良いですよね」等と仰っていたのですが、私はその追い詰められているさまが手に取るように判り複雑な気分でした。

子供を駄目人間にしようと思ったら親は子供の言うことを何でも聞いて、欲しい物を買い与え続け、貴方は特別に可愛い、当別な人間だと言い続ければ良いんだろうなあ、と考えてしまいました。

子育てを誤るとその子が撒き散らす迷惑は息子のみならず孫も超えて祟ると確信した今日の夜でした。

は~、疲れきりました。orz

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2015年4月20日月曜日

やっと再始動

今日から実質的に帰国後初の仕事再開となりました。

時差はほぼ取れたという感じでいつもの様に患者さん達の回診を行い、私が居なかった間の非を詫びて全員を再度診察。
私がこちらを発つ前にすでに転院、転棟、退院などの手続きを撮っていた方が多かったので、私が戻ってきた時に再び観たのは約半分程度でした。

前回のアメリカ帰国の時のように超高齢者の方が亡くなるような事も無くて本当に良かったです。
午前中で殆んどのことをシャカリキになってやったつもりでしたが、実際には午後になってからもいろいろと細かいことをやりこまねばならず結局四時頃まで一息つけませんでした。
実際はこの後、いきなり帰国後初の当直も待っておりましたので、休憩が取れた後は本日の当直セットを持って部屋に入ったのは良かったのですが・・・。

結局、六時過ぎから夜中の一時まで当直室で爆睡してしまいました。やっぱり時差の影響はまだあったかな?
院内のPHSのヒストリーを見てみたらとりあえずは何のコールもない平和な夜だったようなので一安心はしましたが。

後数日以内には完全に時差も取れることでしょう。毎度毎度の私のパターンです。
それにしても、飛行機の中でCAさんとちょこっとお話した時に伺ったのですが、北米路線のような長距離便の場合には三日間のお休みが現地で貰えるとのことでしたが、それを何度も繰り返すわけですからCAの人っていくらなんでも体内のリズムとか滅茶苦茶影響受けるんじゃないかな?って思ったんですけど慣れるんでしょうかね。

CAさん曰く、「乗務員としていくよりも乗客としていく時がキツイです」とのことでした。そりゃそうでしょうな。
以前も、交代要員として飛行機に乗られていたCAさんさんが私の隣りに座ったことがありますが、キツそうでしたもんね・・・。座りっぱなしだし、狭いし、CAさん達のようにクルーの控室で休むことも出来ないし。

自分の娘にはお勧めしない職業かも。

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2015年4月19日日曜日

時差ボケ

きょうは一日ボケボケでした。

朝はそれなりの時間に起きて病院に顔を出してきました。その後はおみやげを各病棟に持って行ってこそこそっとおいてきました。家に帰って昼過ぎまでは少し作業をしていたのですが、夕方近くに眠り始めてしまいそのまま夜遅くまで、、、と言う感じのまるで駄目な一日でした。

オマケに、今回のフライトは最後部座席で結構揺れた感じのフライトとなり何時もは感じないようなフライト酔いがありました。w ふとした時に何となく部屋が揺れているような感じが数時間単位で続いて、内心「最近のフライトにしては珍しいな」と感じること暫しでした。

帰国時の睡眠時間とかが結構いい感じであっていたので行けるかなとは思っていたのですが、、、。失敗!まあ、こういう時差合わせの時には無理をせず為すがままにやっていけば数日で戻りますので焦っては居ませんが、毎度毎度厄介なもんです。結構アッという間に収束するときもあるんですけどね。分子生理的なきちんとした理由付けは効くのでしょうが、まあ、自然任せということで毎度乗り切ってます。
先輩の中にはメラトニンを飲んで飛行機乗ってきちんと合わせるなんて言う方もいらっしゃいましたが、如何なもんなんでしょうか。

とりあえず明日からは仕事。頑張るのみです。

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日本へ帰る

いよいよ日本への帰国です。

私にとって日本へ行くことも、アメリカに行くことも今ではどちらも同じように「帰国」と感じます。どちらがどうという感じでもなくて正直に感覚的にそう思うだけですが。今回も日本に仕事をしに帰るという感じです。

朝は六時半に起床し、七時二十分に家族全員で家を出て娘をリッチモンド市内の高校で降ろしました。まあ、下の娘は上の娘と違ってこういうことにはカラッとしていて、降ろした時ににっこり笑ってじゃーね〜!と言う感じで学校に消えていきました。
その後は直ぐに息子と嫁さんと一緒に飛行場へ直行です。私をDCの飛行場に送って行く時は帰宅時に家に万一嫁さんが居ない可能性などを考慮していつも息子も一緒にいくことになっています。

今回も私の運転で飛行場へ行ったのですが、小さい頃には私だけが飛行機に乗って帰国する機会があると、置いてけぼりを食らった飛行機好きの息子は大泣きしてしまうというパターンが毎度の行事でしたが、今はもうそんなこともなくなり、淡々と見送ってくれます。

飛行場には2時間15分ほどで到着し、あとは恒例の写真パチリと嫁さんの涙流しタイム。w
日本と違い、アメリカでは普通に飛行場で別れのハグを何度もして嫁さんと息子に別れを告げました。いや、今回帰国して良く解ったのは「嫁さんの働きぶり」でした。前向きな様子にいつもこちらが呆れるほどですが、昔に比べて本当に嫁さんが強くなりました。w 嫁さんの頑張りあってのアメリカの家の維持が可能になっていることに深く感謝です。私は私でアメリカの家族のためにも頑張らねば!と何度も意を新たにしました。

飛行機に乗ってからはいつものごとく連続して映画を見続けました。96時間を観た後は、対策のホビット三部作を観続けてほぼ十時間以上をこれで潰すことが出来ました。トドメはダイ・ハードの4.0で、これは到着のタキシングの時まで観続けました。

成田についた後は少しだけ待機した後、国内線で中部国際空港に向かったのですが、途中に見えた富士の山の美しさには感動させられましたね〜。今まで雲に隠れててっぺんだけだったり、座る位置が反対側だったりということが多かったので、今回はラッキーでした。
やっぱり日本一の山です!
機内ではファイヤー・キングのANA限定記念マグを買って嫁さんへのおみやげとしました。(後一個でコンプリート!)
実は中部国際空港に着いた後、待ちかねていたイベントを実行しました。それは空港内にある風(ふ~)の湯という飛行機の離発着を見ながら入れる風呂に浸かることでした。
長旅で少々汗臭くなっていたので、家に帰るバスに乗る前に疲れを取ることが出来るのは大変ありがたく、1080円で貸しタオル付きで湯とサウナを楽しめるのは何よりです。実際にフロントで大量の荷物を預け、着替えを持って風呂へ突進。驚いたのですが、結構沢山の人達が家族連れや個人で来ているようで驚いた次第です。
外人さんも個人で二人ほど居ましたね。

後はバスに乗って一直線で藤が丘へ。バスの中ではさすがに疲れきって、爆睡でした。起きた時には、もうほぼ終点近くで良い気分で家へ帰り着き、12時には再び眠ることが出来ました。

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2015年4月17日金曜日

出発前日に・・・

家の前には梅の木が植えられています。

毎年この木には比較的きれいな花が咲いてくれるのですが、他のエリアの同じ梅の木に比べると勢いが無くて何となくみすぼらしい感じがしていました。
もう一つこの木に関しては問題がありました。それは枝がかなり伸びてきていて、家の壁に当たりそこをキコキコと音を立てながら汚していることでした。

そこで、今回思い切ってこの枝の一部を切り落とすことにしました。実は以前から数年越しでこの梅の木の枝葉をどうにかしてほしいと嫁さんにリクエストされていてはいたのですが、腰を上げずに時々小さな枝を切り落としては茶を濁していたのです。

しかし、上にも書いたように枝が家に当って壁を汚し始めていましたので、これ以上放って置くのはさすがに物理的に不味くなってきたということでアクションを起こした次第です。

まずはハンドソーで何とか中くらいの枝を切り落としてしまおうとしたのですが、中くらいと言っても約10センチ程度はある枝。しかも自分の目線より上にある部分に脚立に立って手を延ばしながらの作業ですから疲れることこの上ありません。二十分ほど頑張ったあとでギブアップして、方法を変えました。

今度は電動ノコギリを使っての作業です。高所での電動工具の使用は結構悲惨な事故を招きかねませんので、細心の注意を払っての仕事となります。
嫁さんに梯子の脚をおさえてもらいつつ、先程よりももう一段大きな十五センチ程度の径の枝を選んでいろいろな方向から切込みを入れ続けました。作業を開始して約数分で枝がむくむくと動き出し、最終的にドコーンと地面に落下しましたが非常に危険な作業だなと実感した次第です。

実際に落ちきった枝を運ぼうとしたところこれがとんでもない重さで嫁さんと二人でビビるほどのもの。こういった作業はやっぱり危険だということを再認識した次第です。
梯子で作業していた私の方にそのまま落ちてきていたら、まず間違いなく生命に関わるレベルのアクシデントが起きていたのではないかと・・・。

まあ、落ちる方向等は計算して切っていたのでそれほど問題はなかったのですが、一瞬ひやりとするほどのものでした。
作業終了後はコスコで奮発して購入していた一番高い肉(笑)を嫁さんに料理してもらって、また半年は来ないアメリカの食べ物の食い納めとしたのでした。

いよいよ明日は出発です。

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2015年4月16日木曜日

今日は外食でタイ料理

今日は家族みんなで外食をしようということで、夕方に娘をリッチモンドの高校から拾ったあとTurnpikeにあるタイ料理店・Siam Paragonに行きました。

今回の帰米ではボルチモア以外には特に家族では行かず、家の中で仕事ばかりしていましたので、ちょっとした罪滅ぼしということですが、実はこれには伏線がありました。
私と嫁さんが近所のメキシカンに行ったことを私が話したところ、それを下の娘が「私を抜きにして!」と言って嫁さんに絡んできて嫁さんが逆に私に「何で黙ってなかったの〜!」と絡み返した、、、というわけで、今回のタイ料理となったというものでした。w

久しぶりに入ったそのタイ料理店は相変わらず大変美味しくて、生春巻、普通の春巻、フライドカラマリ、タイ風シューマイ、パッシーウィー、パッタイ、タイ・フライドライス、パナン・カリー等を注文しました。
最初からレストランで食べきるつもりはなく、お持ち帰りのパッケージを三つ作ってもらい、皆が満足しての帰宅となりました。

何だか実質あと一日かと思うと寂しいですな、、、。

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2015年4月15日水曜日

友人達とBritish Restaurantで

昨日は実は夕方からリッチモンドに出かけてBritish Restaurantでで夕食を食べました。

一緒に食べたのはスコットランド人の旧友と、彼が昔教えた学生。そして私が教えた学生の四人でした。しかもこの二人は兄弟でして、ふたりとも今は立派にドクターとして仕事をしています。
スコットランド人の友人も今回グラントをゲットして、リッチモンドを去ることが確定しており、ジョージアの方に既に家を見つけてきておりますので今回の夕食が多分皆でリッチモンドで食べる最後の夕食になるのではないかと考え、是非にということで急遽集まりました。

夕食はPenny Laneという完璧なイングリッシュの店なのですが、ここで私が頼むのは決まってFish & Chipsのみ。不味くもなければ美味くもないボリュームだけは満点のこの料理をサーブするのはいつも標準のアメリカ英語とは程遠いアクセントで話す非大陸出身のウェイターやウェイトレスの皆さんです。

テーブルについて二時間の間はお互い四人が入り乱れてありとあらゆる話題に花を咲かせ続けました。いや本当に楽しかったです。お互いに年に関係なく気のおけない仲間ですから、まさしく忌憚ない発言の応酬、しかし互いに矩を超えずと言った感じで本当に会話自体を愉しむというものでした。

腹が満ちた後も、皿が片付けられた後もずーっと話し続けましたが、最後にはお互いがジョージアのオーガスタ・ゴルフコースで再会することを誓っての別れとなりました。
大の男達が最後の瞬間まで抱擁を交わしながら別れを惜しむって日本ではあんまりない状況かな・・・。

最後は少し悲しかったですね。

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2015年4月14日火曜日

リッチモンド界隈の特殊教育

今日は息子の事に関する定例ミーティングが行われました。

息子の通う学校に朝の七時過ぎに到着して直ぐにミーティング開始。
今息子は18歳ですが、バージニアの中でも我々が住んでいるカウンティーの公教育システムは息子を22歳まで高校の中に置くことを許しています。ここでは高校は基本的に四年ですので、まあ、日本で言えば四回までフルにダブり続けても良いというわけです。

今回のミーティングでは息子の学校における日常の行動や、家庭での行動上の問題、その他今後改善が期待されるエリアや改善しなければならないポイント、その為の改善方法の討論などが一時間以上わたって行われました。
基本的に毎回このミーティング・シリーズは、カウンティーと州のリクエストする要件をきちんと満たしている書類を一枚一枚確認しながら教師側と我々とが、障害のある子供に対して間違いない教育が行われていることを合意していくステップとも言えます。

毎回思うのですが、こういうところは非常にアメリカの場合慎重に事が運ばれていて、(メリーランドでもそうでしたが)親と学校との討論に基づいた確認が常に優先されます。その上で、親が家における教育が親自身によってきちんと履行できることを証明できるシラバスと教育のアウトプットを示し続ければ、家で親が教育してもきちんと学校を卒業したという証書を得ることができます。

まあ、余りにも今の日本の普遍的システムとは違いすぎるので、参考にはならないとは思いますが。

兎にも角にも、最初の十分間ほど我々両親の隣りに座って準備されていたパワーポイントのスライドを次々に映し続けていた息子はあくびばかりしていて眠そうでしたな〜。w

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2015年4月13日月曜日

子供の居ぬ間に

子供達が久しぶりに学校に行きました。

昨日検査が終了した車を嫁さんと二人で取りに行きました。そのあとは近所のOld Navyに行ってちょっとしたTシャツなんかを買いました。車で場所を変えて新装開店なったKrogerへと行ったのですが、、、アメリカの無意味にどでかくだだっ広いXXmartというものに慣れている私もさすがにその大きさには唖然としてしまいました。

以前から近所のWalmart並に大きくて広いナとは思っていたのですが、今回私が日本に帰っている間に行われた拡張は尋常なレベルではありませんでした。w
ワインコーナーだけでズラーっと地元と世界中のワインが何列もあるコーナー。世界中のビール、チーズ、チップス、そして諸々の雑貨。もし私が昔の貧しい東欧圏から来たら遊園地に来た子供の様に驚きかつ一日中遊んでいられるところと勘違いしそうです。

これから衰退に向かうかもしれない日本と、(中国との覇権競争という意味で)衰退に向かうかもしれない等と言われてはいても、これからもどんどん人口が増え続ける国とはやっぱり違うものがあるんでしょうね。
万一の際の医療費の心配さえなければ本当にこの国は住み易い良い所なんですが、医療が患者にとっても医師にとっても辛い国ではやっぱりいろいろと将来的にはもっと辛いことになるのかな。

TPP経由で日本の医療が保険企業にコントロール可能性が出始めていますが、ハッキリ言うと経済原則は本当に医療サービスとはget alongしないと考えています。
これから日本にもたらされる可能性のある、経済原則に極端に傾いたアメリカ式の医療コントロールはきっと日本の医療の質を大幅に変えていくことでしょう。勿論「負の方向」に。

あ、クローガーに行った後は嫁さんとメキシカンを食べてきました!カロリーが高くてアメリカらしい素敵な食べ物でした。w

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2015年4月12日日曜日

あっという間の春休み終了

何と明日からはもう子供達は学校です。

気がつけば私がアメリカに来てもう十日経ったわけです。アッという間にしか感じません。やるべきことを淡々とやってきて、気がついてみたらこれだけの日が経っていたということですが本当に時間が飛んでいきますね〜。

今日は朝から日本の友人から頼まれたものをWalに買いに行った後、家にもう一度帰ってきて車をState inspectionに持って行きました。とりあえず替えるべきところは全て交換して持っていったので多分車検は問題なく通るとは思いますが。チェックアップ自体は直ぐに済んだみたいで家の方に電話はあったらしいのですがその時に私はスコットランド人の共同研究者のところに行っていたので、終業時間までに車をピックアップすることは出来ませんでした。まあ、明日行きましょうかね。

さて、その共同研究者の家ですが、私の家から来るまで5分のところですからいつでも行けます。
今回も日本から持ってきたちょっとしたおみやげを手に彼の周辺で起きているいろいろなことを聞きに行きました。話の大まかは日本人の元同僚から聞いていたので知ってはいたのですが、より詳細な話を直接本人から聞くことが出来たので、ライブ感のある生々しいものとなりました。

それにしても話を聞いて感じたのは今のDeanとresearch divisionのdirectorの理解力の無さでした。周りにいるPIという名のyoung investigator達もこれは大変だなと、ひとしきり話を聞いた後に痛感せざるを得ませんでした。
二時間ほどお互いいろいろと話し合いましたが、やっぱり互いのことをよく知った旧友と顔を合わせ腹を割って話し合うのは楽しいですね。

私が帰る前に一度dinnerをとることを確約して彼の家を後にしました。

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2015年4月11日土曜日

娘達に会いにボルチモアへ

今日は朝早くからボルチモアへ移動しました。

朝の六時半前には家を出て、ボルチモアへ。最初の休憩地点までは嫁さんが運転してくれました。その後はチョットだけ渋滞はあったものの、春休みとはいえ現地は土曜の早朝。それほど酷く混むことも無く娘達の待つホプキンスのそばの下宿まで辿り着きました。下の娘もボルチモアで三泊四日で楽しんだので、多分疲れているはず。

到着した時に我々の到着にあわせて丁度部屋を空けてくれたルームメイトのユダヤ人の女の子と話をしたのですが、相変わらずの絶世の美女で驚くべきスタイルの持ち主であることに変わりはありませんでした。チョットアメリカでも見ないレベルのスタイルの持ち主なのですが、娘によると本人は脚の長いのがコンプレックスなんだそうで、、、。人は自分にないモノに憧れるだけでなく、有り過ぎるものも時には苦しめるようです。w
日本に行ったらあっという間にスーパーモデルとして、そこら辺の十把一絡げのテレビ・タレントを薙ぎ払い焼き尽くすだろうな〜等と考えながら彼女を見送りました。

その後娘が五階の自室から降りてきてくれたのですが、もう既に涙モード。何でかというと、本当はこれから一緒に家族で食事に行けたはずなのにサブマネジャーがチーフマネジャーに娘からの一ヶ月前に言っていた伝言を伝えていなかったために、シフトに組み込まれていたためです。
娘は勿論、娘のルームメイトの御両親もその話を聞いてカンカンに怒っていたそうですが、まあ、若いうちに仕事をするのも良いことよ!と言って慰めました。本当は一緒に行動したかったんですけどね。まあ、そのうち日本にまた招待いたしましょう。

娘をインナーハーバーで降ろした後、我々自身も駐車場に車を停めてハーバーのHard Rock Cafeや娘が働いているレストランをチョットだけ訪れて娘と去る前の最後の写真を撮りました。また泣いてましたけど。w

その後はお待ちかねのシーフード・レストランで蟹を食べたりして楽しい時間を過ごしました。それにしても嫁さんはまた牡蠣を二ダースも食べて、、、。頭おかしいです。w

帰りは嫁さんと二人でゆっくり運転して帰り、四時ちょっと過ぎに家に帰りつきました。

娘も元気で頑張っているようで、大変心強く感じました。また10月は会いに行きますかね!

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2015年4月10日金曜日

最後のパート

今日は引き続きの大掃除。

やった仕事はガレージの大掃除。今まで使いそうで使わなそうで、、、しかし実際には捨て難くて残していたものを中心に整理していきました。勿論、これらのガレージに置いてあるものはどちらかと言えば男である私の道具や作業材料が殆どで、ガレージでの作業に関係の無い嫁さんの持ち物は殆どありませんので、私の一存で取捨選択できるものばかりでした。

元々、整備や作業用の工具自体はガレージの中に置いてある工具専門のシェルフにしまってあるので、綺麗にしていくのは比較的簡単でした。ところがココで小さな問題が、、、。それらを捨てに行くにはある程度のサイズを持つ車を使うしか無いのですが、私自身が日本に出国する時に持っていた三台の車のうち一台であるオデッセイを他の日本人の方に売却しましたので、大きなものを入れることの出来る車は既に持っていません。

仕方がないので、嫁さんの小さな車であるFITの後部座席を倒してPublic disposalまで走ることにしました。走行中に窓を開けるとこの小さな車の車内に大量のホコリを舞い上がらせることになりますので、少々暑くても我慢して走りました。ペンキの缶やその他大量のゴミをリサイクル・マテリアルの場所に持って行って全て終了。

帰りしなにいかにもアメリカらしいものを見つけましたので写真を撮ってみました。
右側に紙、ダンボール、金属、アルミ缶、プラスチック、ガラス・・・等と書かれているのが判るでしょうか。これ全て一律にリサイクル用の巨大な金属の箱なんですね。これらを「まったく分別せず」に収集していくのです。
まあ、日本やヨーロッパではちょっと考えづらいやり方ですが、何か良い方法でもあるのでしょうか。
これらを専用の収集用ハンドを持った回収車でバケットに掻き集めていくのがアメリカ式です。これが究極の効率を求める国のやり方なのかも。

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2015年4月9日木曜日

ネズミのようです

朝から晩まで家で片付けの毎日です。

屋根裏の埃深いところに嫁さんと二人で篭って音楽を聞きながら子供達の小さな頃の洋服や学校の作品群やノート等をせっせ、せっせと片付けていっています。あたかも屋根裏に住み着いたねずみになった感じ。

一度はきちんと仕舞ってあるものを、もう一度大きな歯から引っ張りだして一つ一つ矯めつ眇めつしながら捨てる捨てないを決めつつ整理していく作業は長く続けていくとかなりの苦痛になってくるので、ある程度の時間で休憩を入れたり翌日に持ち越したりしながらの作業を行うことで作業効率と品質を一定のレベルに保つようにしています。

それでも、作業中には嫁さんと二人で「あ〜、こんなのあったね!」とか「みてみて!これ、こんなの書いてあるよ〜。w」などという感じで結構作業自体が中断されます。
更に、どうしても捨てていいのか悪いのか判断がつかないものも多々あります。それは、箱のなかに大量に入っているものに対する子供達自身の思い入れの深さが判断できないモノがあるからです。

ちょっとしたノートでも、他人から見れば何でもないようなものでももしかしたら本人にとっては大変大切なものである可能性は幾らでもありますので、そういった類のものはとりあえずは捨てずに箱のなかにとっておいて、時間のある時に娘たち自身に見てもらって検証してもらうと言うフィルターを通すことによって、後腐れの無い整理が可能になると考えています。

いやあ、それでも出ました出ました。
近未来の引越しのことを考えての作業ではありますが、元々14個あった箱が今は少なくとも半分以下に減りました。これからさらに厳選と言いたいところですが、他にもしなければならないことが幾つもありますし、次回の私のアメリカ訪問まで一定の冷却期間をおいておくことによって、再び新鮮な目で今選択しているものを見つめ直すことが出来るとも考えられますので、明日まで作業を行って一旦停止としようかなと持っています。

さて、私自身はこの後、家にある二台の車の保守作業に移行しました。
エンジンオイル、オイルフィルターの交換、クーラントチェック、ワイパーブレード交換、ブレーキ・パッドのチェック、タイヤの溝と空気圧チェック等をいつもの様に淡々と済ませて明日以降に出そうと考えている州の車検に備えました。

家の中にあったいろいろなものを適材適所に配置し直すとともに、綺麗にセットアップし続ける作業を繰り返すことで、二年とちょっと後にやってくるであろう家族の引っ越しに備えることが出来そうです。

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