2015年2月4日水曜日

いろいろな事が起こる病院の日常

病院では日常生活では本当に予想もつかないことが発生することが有ります。

しかし、そういった普通の生活をおくる人にとっては稀なincidentも病院という病気を持つ人を集めたシステムの中では多くの場合その稀なことが「日常」となってしまいます。
患者さんの予期せぬ心停止や転倒による怪我、突然の意識低下その他諸々の出来事がやってきます。そしてそれは時に一時に。
今日はまさにそういう日でした。他のドクターの応援や看護師さん達の応援を得ながら挿管や太い輸液ラインの確保、薬剤の注入、そして場合によっては心臓マッサージをしたりしながら家族や親族の方を呼んだりもしないといけません。

そういったシーンではまさに病棟中から手の空いている人と稼働可能な人を中心に大忙しの対応になるのですが、患者さんによっては「加齢の壁」があって助からなかったり、重症度が高すぎて即時の緊急オペ以外には助からないことも当然出てきます。
皆が皆三次救命の可能な病院に入院しているわけでは有りませんので、こういった場合、緊急移送中に亡くなったりすることも当然あるわけです。

世界中を見渡してみると、医療技術が非常に発達し、かつある一定以上の医療費は事実上キャップが付けられて支払う必要の無い日本と言う特殊な国においては、治療サイドの受診サイドも、通常は後顧の憂い無く緊急処置をどんどん行えますが、アメリカにいた時にはいろいろと悲惨な例を見聞きしました。

目の前にある、明白な緊急事態においても、患者さんの支払い能力が明らかに無い時など、病院側がオペを受けなかったり、その保険が使える範囲で治療をしてくれというような事を、患者さん自身が決断しなければならないようなことも全く普通の出来事です。
また、オペすれば確実に長寿を全う出来るような疾患であっても、治療費がなくてむざむざ死んでいくというようなことも実に身近な人にいました。私が信じられないような金持ちであれば助けてあげることも出来るのでしょうが、一回のオペが数千万円にのぼるような手術代を気前よく払ってあげられるレベルの人など、アメリカであれどそうそう居るものでは有りません。

日本の医療を見ていると、理想の社会主義国家の医療制度というのは今眼の前にあるシステムなのかななどとぼんやり考えてしまうのでした。

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