2011年8月31日水曜日

新たなグラント

NCIから最近出された24のProvocative Questionsとそれに付随するグラント群
今日は同僚のH先生とこのグラントの事で話が盛り上がった。端的に言って実に良い癌研究関連の質問が24個並んでいるのだ。まあ、中には??と言いたくなるのもあるのだが、その殆どは今のレベルの研究では結論が出せない、出されていないものばかり。しかも質問のコンテンツ自体は初学者でも理解できる素直なものばかりで、質問を作った研究者たちが一流であることを十分に意識させるものばかりだ。一つ一つを眺めてみても、「う~ん」と唸るような質問も幾つかあり、確かにそうなんだけども、大局的過ぎてとてもではないけど答える為の道筋が幾筋もあるだろうと予想されるもの、そして一部の質問はその解決法に関して私の専門分野での知見からは仲々予測することさえ困難な「他業種」的なものまで包括的に含まれています。
この変則的な質問数「24」なんですが、思うにこれは明らかな「ヒルベルトの23の問題」(実際は24用意されていた!)を意識したものと見て間違い無いと思います。1900年発表のこの提議はその後の数学界に大きな影響を及ぼしていますし、実際にその内の多くが今ではいろいろな形で解決されたり、その後の新しい数学を形作る良い問題であったものも含まれていたとのことです。
正直なところ、今回のProvocative questionsはハロルド・バーマスというノーベル賞の輝きと御威光が確実にこの良問を書く癌研究分野から集めさせたのだと思いますが、数学と同様、これから100年経った後のがん治療、癌研究においても、まだ解決されていない疑問も当然のように(残念ながら)残るのでしょうね。
ああ、100年後の癌研究のデータベースを見てみたいもんです。ビックリするような知見と発見の連続なんだろうな、、、。私も正面から参加したいものです!というわけで、このグラント当たって砕けろ式に出すことに致しました。(笑)

2011年8月30日火曜日

デカッ!!

スペースシャトルから見たアイリーンの映像と、NOAAが写してた写真があったが、そのびっくりするほどのデカさに驚愕してしまった。まさかこれほどの規模だったとは、、、。これでさえカテゴリー2の強度だったから(この程度て言っては語弊があるが)済んだ訳で、もしこれがカテゴリー3や4だったら、冗談抜で家はぶっ壊れてたかも。
あんたデカすぎ!
日本なら完全にすっぽり入ってしまいます、、、。コワ。
今日ラボに行ってみたら、わずかに全く停電を経験しなかったラッキーな人も居たようだが、殆どの人は数時間から半日、人によっては未だに電気回復せずという人もいる状態で、中には未だに大学に来られない人たちも沢山居ました。教え子は少なくとも電気は未だに無くて、冷たいシャワーを浴びてきたとのこと、、、。可哀想。ラボからの帰りしなにも、信号の消えたあちこちの交差点で未だに大量の警官達が回転灯を点けながら警備と誘導に当たっている状態です。それにしても、何かホントに来るハリケーンの単発毎のサイズがでかくなってきてるような気がします。毎度毎度、「歴史的な」ハリケーンが来たら私も困ってしまいますよ、ホンマに。

2011年8月29日月曜日

ハリケーン・アイリーンの翌日

台風一過ならぬハリケーン一過というべき今日の晴天は、例に漏れず美しいものでした。
しかし、庭は落ちた小枝と葉っぱでかなり埋め尽くされて、近隣の家々では皆、家の主人+奥さん若しくは男手が出て来て各家庭の大掃除をしていました。
家の裏のポーチ
玄関前のアプローチの一部
可哀想なのは二軒隣のお宅で、エリアで最も美しかった西洋梨の木が、樫の木と併せてドッカリと倒れて逝ってしまってました。毎年楽しみにしていた当方としても非常に残念ですがこればかりは自然が相手なので仕方がないですね。うーん、本当に残念。
午後は週末のお楽しみということで、急遽バーベキューのセッティングをするために、少々遠いところにあるcostcoに行って肉や野菜を手に入れてきたのだが、その道の行き帰りに見た光景は結構「お~」というものが多かった。最も目立ったのはやはりアチラコチラで倒れている大量の木々。数は一見すると大したことなさそうに見えるのだが、数十メートル置きに傾いていたり倒れていたりという具合なのだからバージニア全体では数千の単位では全く追いつかないレベルの倒され方だと思います。間違いなく「軽く」数万本でしょう。コスコの行きしなには背の高い樫の木が三階建てのタウンハウスの屋根にぶつかっているのも見えました。
地震といいハリケーンといい、最近、何だか東海岸は災害づいてますね。これ以上は何事も大きなものは起きて欲しくは無いのですが、自然はこっちの都合はお構いなしだし、巨大地震や巨大ハリケーンとは言うものの、地球という超巨大なシステムにとっては、それでさえクシャミ一回分にもならないものだというのが正直なところだと思います。
自然の前では、人なんて言うのは本当にちっぽけなものなんだなというのがよく解る最近の災害連発の日々です。準備をいくらしていても、想定外の規模のものに襲いかかられれば、最後の最後には逃げるか祈るくらいしか無いのでしょうかね、、、。

2011年8月28日日曜日

ハリケーン・アイリーン、、、騙されたw

何ともこれが自然の力なんですね。
昨日は「ああ、逸れた逸れた」と安心していたこのハリケーン、北上する速度が異常に遅くなりほぼ一日半以上の遅れを伴っての居座り状態。IBMのスーパーコンピューターを使っての気象予報ってどうなってんの?Earth Simulatorには敵いませんか?取り敢えず、それなりの被害は沿岸部を中心に出ているようです。ここは内陸部なので、巨木が数本倒れたというようなニュースも出てますが、、、。近所では根の腐っていた直径20センチの木が倒れてました。風の弱い頃に近所のOld Navyに行ったときはまだ倒れてなかったんですけど、帰って来る途中、二件隣の家のその木が倒れていたので驚きました。 あれが家の真ん前の樫の巨木だったら、、、やばかったです。
夕方には二時間弱のアメリカ名物「停電」がやって参りました。日本と違ってほんとにアメリカの送電インフラは弱いです。これはメリーランドに居た頃から感じてましたけど、日本にいると経験できないほど頻繁にちょっとした強風、結露、その他不明の理由で停電しますね。スマートグリッドとかいうのはこれを助けてくれるんでしょうけど、、、まずは基本的に日常の停電無くせよ~!(笑)
停電は極短いもので、予め準備していた懐中電灯とロウソクでこの短時間の停電は何ということも無く乗り切りましたが、その間下の娘の大はしゃぎすること甚だし!改めてガキであることを痛感しました。(笑)電気が戻って、明るくなるとロウソクも使わなくていいし、懐中電灯も要らなくなっていきなり面白みが減ったせいか無口になってしまいました。修学旅行の枕投げ状態とはこの事です、、、。何というか電気が切れて闇が訪れると、改めて我々の生活というものが如何に電気というものに頼っているのかということを「痛感」します。冷蔵庫、給湯器、コンロ、ライト、コンピュータ、ネット、テレビ、、、数え上げればきりないです。こういうことが長引くと緊急発電装置なんかを購入する家庭が増えるんでしょうね。考えてもいいかな?5000ドルくらいの初期投資だけで丸一日発電してくれるシステムというのが素晴らしいのだがその初期投資のお金が、、、。
今回は内陸部外れてくれたから良かったけれど、これがハリケーンの目玉の東側だったと考えると実に恐ろしいです。保険の見直し必要かも。まじで。
それにしてもうちの母ちゃん、アメリカを訪れてる時にいろんな経験します。あの9.11然り、今回の巨大ハリケーン然り。事件に遭遇しがちなんだろうか、、、。

2011年8月27日土曜日

ハリケーン・アイリーンさようなら!

何のことはない、オバマ大統領を恐れさせたハリケーン「アイリーン」は何の目立った爪痕も残さずにバージニアから去ろうとしている。
しかし、今世紀の地球の温暖化にともなって予想される、ハリケーンの超大型化に伴い、今年も何度かやって来るであろうハリケーンに備えておく必要があることは間違いない。取り敢えず、停電に備えて懐中電灯と電池の確保だけはしておこうとあちこちのストアに走ったが、薬局その他を含めても、規格D(日本で言うところの単一電池です。)の大型電池は全て売り切れ。規格Cでさえ、WalMartには最後の1パックがあったくらいで、他は薬局にちょろっとその規格Cが最後の一個とかいう状態であったくらいでした。やはり大型ハリケーンの来る前というのはこんな感じでみんな水や電池を買い込んでいきます。今回はLEDライトとかが綺麗に揃ったし、前もって買い込んでおいたコールマンの電池ランタンセットとかもあったのでそう焦ることもありませんでした。何はともあれ、ハリケーンが来なくて良かったです。
しかしながら本来はこんなことをする日ではなく、母親を連れての遠足二日目だったはずなのですが、、、。それは母親がハリケーンが万一DCからの帰りがけにでも車に乗っている我々に遭遇するようなことになったら、、、という可能性を恐れて昼前に中止になってしまいました。というわけで、夕方に母の大好きなバッフェに行って嫁さんと息子とともにバッフェを戴いただけでした。残念!

2011年8月25日木曜日

母を連れてLuray Cavernsへ

今日は母を連れて嫁さんと息子四人で(この前は義母を連れていった)Luray Cavernsへと行ってきた。
行きから何となく天気が崩れる予感はあったのだが、取り敢えず到着まではほぼ雨が降る事も無く持ってくれた。中へ入り、英語で説明が進むガイドを要点だけかいつまんで母に説明をしながら洞窟の奥へ行ったのだが、、、。思わず笑ってしまうことが起きた。
洞窟の下へ下へと降りていく最初の入り口で後ろを振り返ると、母がペンギンのようにヨチヨチと歩きながら覚束ない足取りで階段を降りてくるので訝しんで近くへ行ってみると、、、。サングラスしてました。(笑)洞窟の中でサングラスする人は「余り」居ないと思います。ハイ。指摘すると苦笑いで小さく言い訳。「車から降りる時に外すのを忘れた、、、。」とのことでした。
洞窟なるものに入ったことは73になる今日まで一度も無かったということで、中の鍾乳石や柱などを一つ一つ見る度に、「ほ~」「へ~」「は~」「え~」等と、驚いたり感心するやらでした。我々も連れてきた甲斐があったというものでした。帰りしなに車に乗り込む段になって少し雨が降ってきたのですが、そのままシェナンドーの山並み(間違って)北上!あちこちの遠望を母に愉しんでもらいながらの帰宅でしたが、帰りにI-95でひどい豪雨になりました。前の車両一台先のテールランプが見えないほどの大雨でしたが、何とか無事に家に帰り着きました。明日も仕事を休んでの親孝行と思っているんですが、、、明日は随分とハリケーンIreneが近づいてくるのでもしかしたらアウトかも?取り敢えず期待はしておきますが。
そう言えば今朝のニュースでJobsが会長職へと退いたことが発表されましたが、アップルのカリスマもやはり時間との戦いには勝てませんか。まあ、個人的な中期予想ですが、後任のTim CookとJonathan Iveが居る限りアップルはこれからの十年はまず大丈夫でしょう。

2011年8月24日水曜日

HEAVY

昨日の地震の興奮はアメリカ人の間では未だ少し残っているみたいですが、日本人の間では既に笑い話レベルにまで落ちてます。今日は昨日から実験を始めた女の子に細胞培養の手ほどきをしました。それが終わった後で、コラボをしている日本人のH先生のところに彼女を派遣して、そこにいる「手の綺麗な」(これは我々サイエンティストの間では実験が上手い、信頼できるという意味です。)テクニシャンに現在進行形の状態でウェスタンを教えてもらうように手配しました。本当に有難いことです。
さて、実はここ数日来視ているのですが、家のNetflixを検索している時にHEAVYというドキュメンタリーを見つけました。簡単にいえば、600ポンド台と300ポンド台の「超々肥満」の男女二人がその異常なまでの肥満により生命の、そして人生の危機を迎えるという事態に至り、肥満を解消すべく、専門のトレーナーを付けての大減量作戦を決行するというものです。この人、特に600ポンド台(300キロ弱!)という肥満の男性などは歩くこと自体が大変な苦痛で、トレーナーに言わせれば「冷蔵庫を背負って歩かされるようなもの」という表現を使われるほどです。確かに数十メートル歩いては座り込むことの繰り返しで、あまりの肥満故に膝窩にリンパ浮腫の巨大な塊がぶら下がっているという状態です。必死の初期トレーニングの後、100ポンド近く痩せて、脂肪除去手術も受けて、最後は目出度しという話だったんですが、これはシリーズ物になっていて、この人達の家族その他も一緒にまとめて出てくるんですがその人達も総じて肥満という状態。これでは相対性理論と一緒で、自分のデブさ加減に霞がかかるというものです。(笑)
まあ、実にアメリカ的な番組といえばそれまで何ですけど、今回、視ていて思ったことをここに正直に書く事にしました。以下の全てのブリットの前には「超肥満の人は」という言葉がつくものと思って下さい。
  1. 意思が弱い
  2. 周囲の人に一人以上肥満傾向の強い人がいる(または食べ過ぎる友人達が居る)
  3. 過剰な摂食に関する罪の意識の欠如
  4. 幼少時から肥満であった人が多い
順を追って付け足していくと、1に関してはその他の要因が複雑に絡み合って形成されているので、最も難しい原因と言えるのでしょうが、眼の前に置かれている食事に対する誘惑に「全く」ブレーキがかからないことが非常に典型的でした。何かをしだしてもすぐに止めてしまい、直ぐに言い訳を大量に始めたり涙を流すということ。何にしろ「ちょっとした我慢」というものが食い物だけでなく全般に出来ないんですよね、、、。
2に関しては実は大変に大きな問題だと思うのですが、半端でない量を周りの人間も平気で食べているために、折角減量に挑戦している人も、まるで強制的にその食事に付き合わされるように再び「大量に」食べてしまうことです。しかも、飲み物からして大量のsweetened teaとか脂の塊のような料理の波。中にはアルコールも入る一が居ますから何をかいわんやと言うことですが、太っていない人が「どれほどの量を食べているのか」というリファレンスが無いんですね。
3に関しては2とか1とかにも密接に絡んでいるんでしょうけど、自分が喰っているその大量の料理というものがどれほど激しく平均値から乖離している異常値かということに関して全く比較するスケールを自分の中に内在させていないという事でしょう。ですから、こんなに食ったらどうなってしまうのかという近未来予想が全く出来ず、かつ、それに対する罪悪感も完全に欠落してます。
4に関してはこれまたほかの事と繋がってますが、残念ながら、親が超肥満である場合子供も既に「幼児」の時点で「超肥満」若しくは「肥満予備軍」で有ることが多いのです。二の腕なんか5,6歳で既にパンパンという子が沢山居ますので。
こういうことっていうのは上にも書いたように、どの項目であっても、まさしく竹の根っこのように互いに地下で深く深く繋がって問題を深刻化させているんでしょう。アメリカで加速している肥満問題。日本も対岸の火事ではないのではないかと思います。

珍しい体験

今日は珍しい体験をしました。
珍しいと言っても「ここアメリカ東海岸では」ということなんですが。今日はじめて実験を始めるマスターの女の子がラボにやってきたのですが、ちょうど指導が終わって「さー昼飯でも買いにタイ料理の屋台に行こうかな~」と思っていた矢先のことでした。丁度実験のことに関して他の日本人の先生と電話で話していた時だったのですが、ユッサユッサと大揺れがはじまりました。大学の同じ構内で違うビルにいただけなので、思わず二人共会話が無言になってしまいました。(笑)少なくとも大揺れ30秒、完全に揺れがなくなるまで1分以上はかかったんじゃないかと思います。
後で調べたら、地震の大きさはM5.9で、震源地はここからわずか40キロ北西のところの深さ1キロ足らずのところだったようです。道理でデカイはず。バージニアの歴史の中では記録に残る最大の地震と全く同じ大きさだったようです。アメリカのこんなに地震の少ない地域で怖いのは建物が日本のような耐震構造になっていないことです。私が日本でこの揺れを経験したところで、日本の耐震建築というのを信じてますから「やっほー!」と言う感じで笑ってやり過ごせるのですが、ここはそんなのとはほぼ無縁のアメリカ東海岸です。この新ピカのビルも、マッチ棒のような柱の寄せ集めでできていることは本人が良く知っているので、「まさか」とは思いつつも、心の何処かでは「もしかして、、、」という気持ちも根強くあるのでした。取り敢えず今回はそんな事も起きませんでしたが、やっぱ災害というのは忘れた頃にやってくるんですね。
御飯を買いに外に歩いて出てみると、外はビルからインスペクションの為に出された人たちでごった返し、交差点のあちこちで警察車両が道をブロックしていました。救急車まで走りまわって忙しいことです。報告によればビルの倒壊や家屋の損傷は今のところ報告されていないという事ですが、こんなのでけが人が出ているようでは、日本であれば大問題です。屋台ではもう店じまいをしているところだったのですが、最後に一掻きパッタイがあるということでしたので、たまたま撤収に来ていた何時もは本店で会うオーナーが、「金は要らん~」と言ってサービスしてくれました。有り難いです。娘達も家で怖い目に会ってたみたいですが、大丈夫でした。嫁さんに至っては運転中に地震が来たみたいですが、取り敢えず事故にも遭わず、まずは一安心です。(後で聞いたら、全く気付かなかったとか、、、。鈍感なのか元々そういう類のものなのか。(笑))
何と恐ろしいことに、バージニアのドミニオン・リソーシズの原子力発電所が二基も緊急停止してしまったんだそうです。冷却装置は働いているということで問題はないらしいんですが、、、。不気味な話ですよね。
今回の地震で判ったことは、携帯は少なくともこのような地震後3時間経っても未だまともに使えない(最初の一時間はコール音さえ無し、それから後はYour call cannot be completed. Please check your number and dial it againのコールに変えられただけで事態に変化がありません。)ということと、固定電話は強いということ。それにインターネットは何の影響も受けず、直後からgmailのチャットやメール、facebookでガンガン安否を気遣う連絡が入ってきました。(私はアカウントは持ってますけどtwitterはやってません。)おまけに、直後にシスコに住む、何時も私の家族がお世話になっている方からも直ぐにメールで安否を気遣う連絡があり、大変有り難い事でした。
そのあとは、ベセスダのNIHの友人からもチャットで安否連絡があったんですが、DCの方も結構大きく揺れたということです。彼女にとっては生まれてこの方経験したことのない「大きな」揺れだったとのことで、ちょっと微笑んでしまいました。
幾つかのニュースリンクを記念に貼っておきます。





2011年8月23日火曜日

獅子身中の虫

世の中には手段と目的を取り違える人は沢山いて、それが実に普通のコトです。そのひと個人自身が、たいして活動的におかしな事をしなければ、周りの被害も小さくて済むのでしょう。
しかし、その人物が誰か人の上に立って指導や教示をする意欲を示す場合、下に付き従わざるを得ない者は場合によっては自分の命を危険に曝さないといけない事もありますし、人生を棒に振ることだってあるでしょう。それが国家の指導者であれば尚の事。旧日本軍にはそんなのもウヨウヨ居たことでしょう。(現代も組織名が色々と変わるだけで、どこへ行こうが何も変わっていないのは大人の常識です。w)
今回、例によってマスゴミは追求しませんが、今回の空き缶による、「北朝鮮に直接繋がった基地外左翼集団「市民の党」に対する信じられない額の献金」と、この団体の酒井代表と言われる選挙対策委員が国会に送り込んだ「多くの議員による、自分の給与を迂回し再献金するという、明確なマネー・ローンダリングによって国法を堂々と犯す」と共に、「国家の中枢たる国会に自分達の身内から秘書を送り込んで国家の機密に触れる事ができる立場に近づいていく」という方法はどう考えてもスパイの国家内部への潜行を許すものでしょう。
こいつらが基本的にどれほどイカガワシイか、その個人のバックグラウンドを見れば一目瞭然。よど号ハイジャック犯や、ポル・ポト派元幹部の寄稿を“機関誌”に掲載するような、異常な組織なのだ。左翼思想結構、自分の頭の中で勝手に理想の国家でも想像して、尊敬する「親愛なるキム様親子」にでも何でも自分の小遣いを送って下さい。しかし一言言いたい、あっちに行ってやれと。日本の中では一切日本を切り刻むようなことは止めてもらいたいのです。
最悪の問題は、このテロ集団の存在自体ではなく、このテロ集団に献金までして「しれーーーーーーーっ」としている、男の存在。そいつが首相をしているという異常さ。最初にも書いたように、コイツは日本の首相になる事だけが目的で、首相になって何をどうするかなどという信念や思想などは「カケラも」持ち合わせていなかったという事。そんな事は厚生省エイズ事件での手柄横取り、カイワレのパフォーマンス、コイツのコピーたるバカ息子を見れば事実に関しては論ずる必要もない自明の(ア・プリオリ)ことなのですが、、、。これだけに留まらず、火炎瓶を持って国家と退治していたような千葉景子が法務大臣経験者とか、もうね、これ何のドッキリカメラ?というくらいの脱力感です。orzただただ、日本をぶち壊すという所期の目的だけはその能力を遥かに超えて、立派に達成しましたが、、、。
そう言えばこいつら揃いも揃ってシンガンスの釈放嘆願書に署名した連中でしたね、、、。
日本大丈夫か?

2011年8月21日日曜日

一日中レビュー

今日はある雑誌から依頼された論文のレビューに一日かかりっきりだった。
最初はpdfを一度完全に読んだ後、比較的簡単なもんだなと思っていたのだが、読んでいくうちに細かいところで疑問点が雲のようにムラムラと湧いてきてしまった。(何時ものことですが。)その一つづつを丹念に調べあげていくうちに、調べる枝葉がわんさか出てきて、この論文の持つノベルティーに関して細かく検討をしていくうちに、ほぼ全てが「既知」の事実であり、結局は今までの実験結果を「ある重要なプライマリーの細胞系に」当て嵌めただけだということがバレてしまったということ。まあ、それはそれで無意味とは言い切れない点もあるのが判断のしどころというのもありまして、難しいところです。実際に、この人達のラボはこの分野では有名な某国の世界的なラボなんですが、、、。(何を読んだか一切推測できないようにするためにはこういう書き方しかできません。申し訳ない。)いくら有名なラボでも、これだけノベルティーが霞んでしまうと、正直、簡単にはGOサインなど出せません。こう言った点は其々の掲載雑誌の本来持っている「掲載基準」というものがありまして、(実際はその雑誌が其々持っている期待されている雑誌像とでもいいますか。)それに沿ったクオリティーを要求されることになります。今回の雑誌の場合はSomething NEW!!の割合が大きくなければなりません。
こういったサイエンスの世界における出版では実に様々な要素が絡み合っていまして、とても「クリーン」だけでは済まされないようなドロドロとした内幕もありますが、(実際の社会の縮図に近いものもあります。)要はクオリティーが高くないと有るレベルから上の雑誌からは歯牙にも掛けられないといった扱いを受けます。極端な例では、朝、電子的に雑誌社に提出してその日の昼には「ゴメンナサイ」で始まる紋切り型のメールでつき返されるというもので、この手の話は枚挙に暇がありません。要するにレビューにさえ回らないのです。(笑ってって、これも笑ってる場合ではないんですが!)
じっくり時間を掛けて読んだ今回の論文、実験は綺麗なんですが(データ偽造の可能性も含めて検討するのが常識です。)やはりノベルティーという大事な一点の問題で、今回の論文の評価は「チョメチョメ(秘密)」と言う所に落とし込みました。さあ、エディターはどう出るか、結果を待ちましょうか。

Williamsburgへ再び

今日は先日偶然知り合いになり、御世話になったWilliamsburgの日本人の御婦人から再び昼食にお招き頂いた。今回は実家の母がこちらに来る事を知った御婦人から「是非お母さんと御一緒にお寄り下さい」とわざわざ指定まで受けたのでした。
家からは一時間半もかからずWillamsburgには到着します。前回のごとく、美しいゴルフ場のコース内に建った家々を回りながらお宅へ到着。早速家族を再紹介すると共に、セルフ形式の美味しい御飯を御馳走になりました。話が弾みながらの御飯は消化が良いのか、アッと言う間にみんなが満腹になりその後に以前いただいたシロクマアイスが出てきましたので、再びペロリとみんなで頂きました。この南九州では有名な氷菓子。手作りで簡単にできます。セイカアイスがメインで日本では作られているんですけどね。お手製シロクマは又別ですが、通常は下に出している写真が我々の世代の頭の中にある標準シロクマです。

周辺を御自身のドライブで母親に紹介して戴いた後、お宅を失礼しましたが、母親と二歳しか歳が違わない上に同じ南九州で生まれ育った者同士ということで、我々が居ないところでの話はどうやら非常に弾んだようです。母親が、「話の面白い奥さんで良かった~!」と感激していました。
帰りしなに、そこから15分ほど離れたところにあるoutlet mallへ行きましたが、娘達はおばあちゃんに色々と買ってもらっていたようです。おばあちゃん銀行恐るべし。


2011年8月20日土曜日

無理なことは無理

オープンソース・ソフトウェアの開発過程の比較に関して「伽藍とバザール」という言葉が昔からありますが、国家の運営もまさこんな感じでしょう。
一部の優秀な人物達によって精密に練り上げられた作戦もしくは創造物が最後の段階で公にされ、史上の反応を見極めた上で手直しをされて出てくるというものと、バザールの全体からその超優秀なものから愚にもつかないと思われるものまで全てをひっくるめて、全員の眼で有機的に物事を創り上げていく方式。どちらが良いかということに関しては個別の案件であり一概に勝者を決めることはできないんですが、何れの方式で行くにしてもその成否を握るのは全体統括者の強烈な能力です。
ソフトウェア開発にいおいては例えば代表的な例は前者であればマイクロソフトのデビット・カトラー、後者においてはリーナス・トーバルスでしょう。こういった人物達の優秀な頭脳と強烈な個性、そして先見性と交渉能力を担保にしてプロジェクトは進んでいきます。
しかし、しかし。これが日本の政治の話になった途端、もう眼を覆わんばかりの、、、それこそ、何と言うか、、、事実上の焦土と言って良い惨状。人材の払底は極まり、その数少ない選択肢を選ぶ選挙結果も「国民の見識」つまりはその選択眼そのままの政権が具現化したわけで、哀しいかなこれが21世紀の日本人が産みだす事ができる最良の選択肢なんでしょうか。
もうずっと前から本当にこのブログでも何度も何度もしつこく書いて来ました。マスゴミと民主党政権がつるんだことによってもたらされる悲惨な結末というものを。しかし結局は選択肢は民主党。(笑)今しっかりその選択の御褒美を日本が全身で受けている状態でして、適切なお悔やみの言葉も見当たりません。おまけに今度は民意は問わずの三バカ四バカ選択式選挙という悪い冗談の連続。民主党の議員も、生きているうちには二度と無いこのチャンスに向けて必死で名前を売り込もうとしている馬鹿野郎軍団が勝手に盛り上がっているようですが、笑うセールスマン顔の野田某を筆頭に、その他どんぐりの背比べで、腐った野菜のたたき売りみたいな状態。多くの日本人は完全に諦観状態に陥っているのではないでしょうか。自分達のやってしまった投票行動が如何なる形で自分達の未来を翻弄していくのか身を持って実感していることでしょう。
少し前までは日本という国に同情していましたけど、最近はもう何と言うか、そういう気持ちも無くなってきました。国家に信じられない大借金があるのに、国民が念仏のように唱えるのは「減税、手当て」の大合唱。一言コメントするなら、この大馬鹿野郎共と言うくらいですか?いつからこんなに「さもしい」「乞食根性」の人間が増えたんでしょうか。団塊の世代が云々と言う前に、金が無いなら飯のランクを落とす、それを買う金もなければ水でも飲んでその日は夜の星でも眺めて腹を鳴らしながらやり過ごす。実際はそういう事態になる前に、次世代に対して責任のある「有権者たる大人」は対応策を十分に練り、出来ることと出来無いことを峻別し、厳しい選択肢を選んでいくしかか無いのに「馬鹿な」有権者達に阿(おもね)って具体策を練れないし、抑々、政策立案能力、法案作成能力自体が無いという茶番。(笑)
まあ、この際日本も落ちるところまで落ちてみると良いのでしょうかね?その子供達自身に負担が返ってくるバラマキ政策「お子ちゃま手当て」、高速道路に巣食う屑共だけが潤う、受益者負担の法則を完全無視した高速道無料化(日本とアメリカの道路はその根本の哲学からして全く別物!)、能力が有ろうが無かろうが、意欲が有ろうが無かろうがそんな事関係ないよ~、金はア・ゲ・ルと宣言した高校完全無償化。先進国が云々等という中身のない言葉を錦の御旗のように掲げて日本の財源事情に関係なしに進められてきたポピュリズム・迎合政策が後世の歴史でどういう評価を受けるのか。そういった事を評価を出来るだけの日本人と日本というシステムがその時まで残っていれば良いのですが、、、。
可哀想なのは民主党を選んでも居ない、そういうさもしい政策に迎合しない実直に働く人間達が更に次の選挙まで割を喰らい続けること。まだまだこういう人達には災厄が降りかかって欲しくないな。本心から。無理なことをきちんと無理と受け容れることの出来る大人の育成を怠った教育システムから作りなおさないといけないんでしょうか。(そういう事が理解出来ない連中って団塊周辺に固まっていると思うのは俺だけか?)このことは、若い世代のほうがよっぽど解っているような気がするんです。

2011年8月19日金曜日

YouTubeっていろんな意味で凄いよな~

Youtubeをほぼ毎日使って動画を見てます。
それこそ、人類が撮り続けてきたありとあらゆる動画静止画の最大のアーカイブだと言って間違いないんではなかと思うんですけど、これの凄いところはやっぱそれがネットに繋がっている所でありさえすれば、何時でも何処でも見られると言う所と、画像のバッファリングが早くてストレスがほぼ皆無という点ですかね。この点に関しては他のソフトやシステムの追随を「全く」許さないレベルであることは誰もが認めるのではないでしょうか。
更にはダウンしている時間というのがほぼ全く皆無という点。今まで使っていて、Youtubeがダウンした瞬間というのを思い出すことが出来ません。少しだけ遅い再生というのを経験したことはありますが、、、。
もう一つ驚くのは、グーグルがここを買収してから特に凄いみたいなんですけど、その実験的なまでのインターフェースその他の改変速度でしょうか。昨日までは無かったボタン、さっきまでは無かった機能が次の瞬間にはこっそり配置されているかと思えば、昨日、寝るまでは当たり前のようにあった筈のインターフェースが逆に綺麗サッパリと無くなって、何だか違うところにこっそり紛れ込んでいたりというような事が本当に毎日のように起きていることが凄いなと思います。逆に言えば使用者の都合なんか考えてないというか、、、?(笑)まあ、使用者の「為を思って」の改変なんでしょうけど。タダだから、まあ、いいか。
気に入らないことはやはり二種類の広告挿入の方法かなあ。脇の広告まで入れれば三種類ですけどね。何と言っても最もannoyingなのは、それほど頻繁ではないんですが、コンテンツを見る前にランダムに「完全にスキップ不可」で挿入されるタイプの広告、次が画面の下に出てきてチェックボックスを外さないと邪魔をし続ける広告ですか。何回に一回出てくるのかは知りませんし、一回消しても、コンテンツが長いときは消した後もまた出てくるのでムッとすることも無いとは言えません。
化粧の方法、タンパク分解の過程、数学の証明の解説、スタンダップ・コメディー、テレビ、インタビュー、ありとあらゆるものが本当に無尽蔵に各国の言葉と時間を全て抱え込むように貯めこまれていく物凄いアーカイブだと思います。日本の会社ではこういうものは運営し切らないでしょうね、残念ながら、、、。

2011年8月17日水曜日

博士号は不要なんですか?

馬鹿も休み休み言えと強く言いたい。
まあ、こんな極端にレベルの低い議論をする輩の話をいちいち取り上げてしまっても大人気ないんですけど、ここに取り上げたアゴラの論調「博士課程:一握りの勝者を作るために、膨大な敗者を作りだして良いのか」は幾ら何でも「学問・研究」というものを見つめる「ヒト」としての目線が異常に低すぎて、久しぶりの「本格的」トホホという感じです。(因みにここでこの人が使ってる漢字「作る」はこの場合「創る」が正しいと思うんですけどね。)博士号など足裏の飯粒(取らないと気持ち悪いが、取っても食えない)等と昔から揶揄されますけど、私はそういう発言を素直に肯定できる人というのは、所詮、その程度のクオリティーの博士号しか取ってないということなんだと思います。
日本の大学院というものに触れたことのない方の為に説明しておきますと、博士号と一言で云いましても、そのクオリティーには「実は」それこそピンキリありまして、所謂有名大学でも、論文を出さないでも博士号を付与する「ふざけた」所もありますし、論文提出とは言っても、誰も(それこそ大学内部の人間さえ)読まないような、自分の大学が出す「学内報・学内雑誌」くらいでしか受け入れられずに、そこでの印刷、発行をもって「学位論文です!」なんちゅう事をやっている「自称」博士号保持者もそれこそ大量に居るんです。
そういう論文(特に医学部では、論文というより症例報告・症例検討とでも言うべき統計解析のようなモノがどこでも盛りだくさんですが、、、)を四年や六年かけて出しても、そのレベルの訓練と実力では世界の中ではなかなか戦えないのは至極当然のことで、そういうレベルの品質しかない「自称・博士号」を取った人達が大学という特別な温室を出て、次のステップに踏み出すのは相当の無理があるのは当然かと思います。そういう人にとっては最初に書いたような博士号など足裏の飯粒というのは実に腑に落ちる言葉なんでしょうけど。(笑)博士号取得なんて言うのは研究生活における単なる通過点でしか無く、実際のところ、勝負はそこからであるべきなんですけどね、、、。数学を解くのに意味は理解せずとも、記憶した解法を当て嵌めて良しとしているような人だったらそれはそれでありなんでしょう。
そんな人達が、企業なんかに出て行ってもそりゃ「使えねえな」という風に企業の側に判断されてもそれは企業のデベロッパーにしてみればごくまっとうな判断だと思います。(大体、即戦力としての大学院卒ってどういう人物なんだ?即戦力として期待するならわざわざ大学院卒を取ること自体が誤りというのは当然でし、大学院卒業生として企業に就職するときのプラス要素にしようというのはごく一部の例外的に研究内容の合致する工学系、理学系大学院を除けば、大きな間違いではないかと思います。)
大学院を「日本において」就職に使おうとする間のほうに責任があるのは明白。ママの「賢い」判断を待っている未熟な子供ではないのですから、いい歳こいて責任を他者に擦りつけても仕方ありません。アメリカのように高学歴が「直接」就職につながる必須の要件である国ではないのですから。文科省のバカ役人が唱導した「ポスドク1万人計画」なんかにまともに乗っかって一緒に阿波踊りを踊る事なく、そんなものとは無関係に、きちんと自分の「正しい」判断と「正しい」基準で大学院を選択し、時間稼ぎのモラトリアムの場所として時間を潰さず、困難なゴールに立ち向かっいった人達は、私の周りを見回しても、ほぼ間違いなく何らかの成果を勝ちとっていると思います。
ちょっと語弊があるかと思うので補足しておきますが、大学院の存在意義というのは別に企業で使えるかどうかなんて言う実学レベルの話が基本になっている訳でもないわけで、直接、直ぐには「役に立たない」けど、その思考過程、その考察の存在自体が人間の知的活動の結晶として新たなものをそのアーカイブに加えるならそれでもう十分だと思ってます。だからこその大学院なんですけどね、、、。そもそも、そこで活動する人は特に高い給料を求めてそういう仕事をする人である必要もないし。(金が目的なら最初からそんなとこ来るべきではないし。勿論、特許が取れてアレレ!という人も沢山居ますが。(笑))
昔、電磁気学を確立したマクスウェルが隣のご婦人に「電磁気は何の役に立ちますの?」と、問われた時に「生まれた赤ん坊がどんな人物に育つか誰もわからない」との返答をしたのと同じことが永遠に繰り返されるわけです。数学でも、物理でも、他の自然科学でも、一体この先に何がある?ということを問い続ける事、それ自体に意義があるわけで、それを「応用して」何か人類の生活に応用できる何かが見つかるかどうかということは、言っては悪いんですが、二の次だと強く思います。例えば、リーマン予想「ζ(s) の自明でない零点sは、全て実部が1/2の直線上に存在する」を証明するような、数学の進歩自体を動かすが如き巨大な研究なんかでさえ、この著者の主張を当て嵌めてしまえば、研究するに値しないんでしょうが。(笑)
そういう観点からすると、最後の二行に書いてある、「たかだか、ちょっとだけましな大学教員を養成するために、膨大な27歳超の未熟練労働者を作り出すことは、公共の利益にかなうのだろうかと、私は問いたいのである。」という記述に至っては、その大学院教育に対する視点の低さと視界の狭さに開いた口が塞がらない、とでもいいましょうか、全身脱力と言いましょうか、、、。古典的な「実学系」の発想を大学院教育に関してこういう形で発言する勇気のある人が「未だ居ったか!」と、逆に驚愕する次第です。(笑)まあ、そもそも「大学院も出てない、博士号さえ持たない様な連中に大学の教員をさせる」ということ自体を問題にするのが会話の始まりで有るべきではないかと思います。基本的に大学院というのは「自分で」考える過程というのを更に磨き上げるところですから、「自分で」考える事が出来ないと思う人は本来選択すべき道筋ではないと思うんですけどね、、、。
リスク無くして挑戦無し、と言う言葉を受け入れられない人は人生の如何なる分岐点においても手近な、安全な選択を選んどけば良いと思います。それはそれで立派な人生ですし、しかし、それ自体がどういう結果を産み出そうと、その結果産み出された人生の中における差異というものに対して不平不満をぶつけるようなことは完全にお門違いだと思います。また、逆に考えると、博士号をとった期間の長さ故に就職が不利だ云々という人は自分のとったリスクに対して責任が取れなかったのですからそれはそれまでのこと、ブー垂れても残念ながら、アメリカではないのですから日本では誰も救ってくれません。この点に関しては「もっとも、どんな進路にも不確実性はあり、本人がリスクを織り込んで進路決定をしている以上、敗者の不利益など、どうでもいいという理屈も成り立つ」というところはある程度正しい議論の一部ではあるんでしょうが。
上のようなアゴラの論調が、医師というある程度の高等教育を受けた人の口からさえ吐き出され、かつ公共の場に堂々と論考の一つとして、編集部からの掲載容認というフィルタリングを経たメディアの意見として恥ずかしげもなく晒される国なのですから、その点、日本で博士号を取る事自体が目標になっている方にはお気の毒としか言いようがないのですが、、、。
それはさておき、最後に一言。一体このアゴラのタイトルになっている「一握りの勝者」って一体全体何?就職に成功した人?何と志の低いことよ、、、。こんな連中に自由に大学院教育を論じさせたら日本の文化も科学もあっと言う間に三流国に転落開始ですよ、、、。
ケンブリッジは就職のことを考えて大学院で研究しているのか?オックスフォードは?プリンストンは?レベルの高い競争をしたければ、少なくともだけでも高く大きく持ちたいものです。最初っからどこかの国の大顰蹙をかった仕分け人みたいな恥ずかしい発言の先棒担ぎだけはしたくないものです。

母ちゃんの盆踊り

今日は家へ帰ってきて驚いた。
実家の母ちゃんが娘達の為に任天堂Wiiの最新ダンスソフトJust Dance2を買ってくれていたのだ。実はこの前、このソフトの宣伝を見て、「お、これ買って遊びたいね」と思ってたのが母ちゃんに通じたか?(笑)
この前からWiiを使ってRockBandやPS2の太鼓の達人なんかで遊びはじめた実家の母ちゃん。何故かは知らんのですが、ゲームに熱中しているようなのです。70過ぎでロックバンドのドラムスティックを握り締め、孫にコツを教わりながらドラムを叩きペダルを踏み込むさまはこの世のものとは思えない珍奇な光景です。そのうえ今日買ってきたJust Dance2で踊っているところは殆ど「新興宗教」か「盆踊りのヤンキーバージョン」という怪しさ満艦飾状態で、とても知り合いには見せられません。外を通っている人に見つかったら「おまわりさん、この人です!」と通報されそうです。(笑)
母ちゃん血圧の方は大丈夫か?



2011年8月16日火曜日

サンプル数1の科学

日本から来た母と話していて繰り返し頭の中に浮かんでくるキーワードがある。
それは「サンプル1の科学」という文言です。これが何かというと母親の断定的な話の事なんですよね。例えばこんな感じ。「私の知ってる奥さんがXXを食べて、体の調子が良いらしい。」>だからこれは体に良いので食べなさい。「XXで聞いたんだけどXXを使うと料理が美味しくなるらしい。」>だから使うべき。とまあ、この手のお話の連続技で攻めてきます。まずは相手がどう思っているかは関係無し。(笑)まあ、これが私に対してだけなら何とも無いんですが、これを他人の前でも平気の平左で切り出すもんで、そばで見ているコチラはハラハラし通し。次はどんな「トンデモ発言」が出てくるのかと片時も眼が離せないのです。
言ってることが確かな事実と豊富な根拠に基づいたものだとそれも良いんでしょうけど、身内としてはn=1で理論構成されても、、、。サンプル数1でいろんな話を構成していくのは楽なんでしょうが、実験科学者の息子としてはどうにも心が疲れるのでした、、、。帰納、演繹どちら側から理屈を構成してきても「おっかさん」の日常生活で特に支障はないんでしょうけど、もうちょい「話の根拠」をシャキッとさせてつかーさい。お願いします、、、って言っても、もうこの歳では絶対変わらんわな~!orz

2011年8月15日月曜日

母へ手料理

今日は週末のこの時間を利用して母親を自分のラボとオフィスに連れていった。
今までの自分の研究室の内情は知らずとも、どういったところで働いてきたのかは知っている母親なので、今のオフィスや研究環境の「みかけ」の良さには感心してくれたんですけど、実際は研究を激しく推進するには人・金・情報というものがそういった見かけの環境以上にコンスタントに必要なんです、、、と、口元まで出かかったのですが、それは敢えて言いませんでした。
その獲得の難しさは研究分野によっても、研究に携わった時期によっても色々と流行り廃り、且つ実際の経済状況などもあってそう簡単ではないですし、実際、NIHの中の研究室でさえ研究費の配分量が不足することによって、ラボの閉鎖が相次いでいるような状況だと言うことをこの母に伝えてもただ心配が増すだけですので、ここは母の期待に応えることをもって次のステップへ行くこととしましょう。
夕方アジアンマーケットから家へ帰って来て、「本日の課題」である母親への手料理挑戦を開始した。四時半から先ずはメンチカツ、次にオムライス、最後に餅とナスの和え物という順序で出してビールと共に楽しんでもらったのだが、母親からは「美味しい」というオコトバを頂きましたので、それを持って作戦終了と致しました。(笑)また来週もなんか作りましょう!

2011年8月14日日曜日

TOEFL

今日はハンプトンのOld Dominion Universityに上の娘を連れて行った。
目的はペーパーでのTOEFLを受けさせるため。何で受けたいのかは特に聞かないのでわからないのだが、本人が試験を受けて何かのサーティフィケーションを取りたいというのだから、そこには少々とは言え、お金と労力を使ってあげるのが親というものかということで。
初めてカレッジバスケットの仇敵であるOld Dominion Univ.に行ってみたが、申し訳ないくらい校舎棟は見栄えがしなかった。今回の訪問でちょっとODUの諸君が可哀想になった感じというのが正直なところか。(笑)取り敢えず試験開始は8時30分、試験自体は約三時間半で12時直前に修了した。校舎の中に入ってみてみたら約7人の受験者が居て、娘もその中の一人として試験を受けていた。
私は、外でずって待っていたのだが、待っている間に本を二冊読了。一冊は児玉教仁の「パンツを脱ぐ勇気」。もう一冊は、城山三郎の「そうか、もう君はいないのか」。どちらの本も、お金を払う価値のある読み応えのある本だった。人の情熱を語る児玉氏と、終生の愛の形の意味を語る城山氏、それぞれに語ることは違っているのだが、何事かを成し遂げる人の人生というのはその目的に突進していく推進力という意味において刮目すべき何物かを「常に」持っていますね。ほんとうに羨ましい。羨ましいと言っているだけではダメと判っているのですが、それでも羨ましい。持って産まれ、かつ、育まれたエンジンとガソリンの質の違いを強烈に感じさせてくれます。
私の尊敬する城山先生は既に亡くなられて居りますが、新田次郎と並んで城山三郎という人物には常々並々ならぬ尊敬の念を抱いていたので、このような「奥様との日常」そして「奥様との別れとその後」を書かれた記録を読むとその作家のもう一枚内側にある素顔を知た気になったという錯覚を起こさせてくれました。ありがとうございます。

2011年8月13日土曜日

若いって凄いな~

体細胞が若い、新陳代謝が早いというのはやっぱ凄いんだなというのを最近つくづく実感させられた。
何を通してかって言うと、息子と自分の体の差を通して。余りにも身近にあるもので目の前に突きつけられた差というのを見せられるのもガックリするのだが、この一夏の間のちょっとした摂食制限(ダイエット)を通じての息子の身の引き締まり方には正直「降参」状態。チッと舌打ちでもして心のなかで白旗でも上げるしか無い感じ。(笑)
息子がやったことといえば食べていたお菓子を、殆んど一日一個のキャラメルか小さなおまけサイズの箱一個にした上で、変な時間の間食や摂食をなくしたくらいなんですけどね。みるみるうちにズボンのサイズが下がっていって、2ヶ月前までちょっこり出気味だった腹がまっ平らになり顔も少し顎に三角形の感じが出てきた。どう考えても健康なレベルでの綺麗な痩せ方で且つ筋肉は益々年齢なりの成長を見せるという状態へ。明らかにスリムと言っていい感じになりました。
一方オヤジの方はどうかというと、一週間に5日の激し目のトレーニングと果物や油に気を使った食事制限をかけた上で四ヶ月かけてやっとたった四キロ減量に成功したところ。(171cm73kg>69kg)筋肉もついてきて嬉しいのは嬉しいし、血圧の低下と心拍数の予期した減少、ロウイングの記録向上もきちんと結果としてはついてきてはいるんですが、腹筋の周囲にきちんと張り付く厚さ1-2センチの脂肪層の取れないこと取れないこと、、、。orz
ベルトのサイズ自体はこの三ヶ月で三個分ほど縮こまりまして、もう買い換えないかんのかと思っていたスーツがまたストンと入るようになったのも予期せぬ成果なんですが、簡単な食事制限だけで「あっと言う間に」体型と体重がドラマティックに変わってしまった我が息子を見ていると、「若さ」というものの持つそれ自体の不思議さ、物凄さがズッシリ、ヒシヒシと伝わるのでござんした。(笑)
それにしてもこうやって痩せる理由の一つは学校で出されて子供たちが食べたりするおかしや料理にもあるんだろうなと思うんですよね。どんなもんか、今度学校に詳しく聞いてみようかな。

2011年8月12日金曜日

Q.E.D.(証明終了とは正にこの事)

「無能な働き者は害悪である。」 ハンス・フォン・ゼークト
「活動的な馬鹿より恐ろしい物はない。」ゲーテ
「無能な味方よりも 有能な敵の方が役に立つ。」 マキャヴェリ
「真に恐れるべきは有能な敵ではなく 無能な味方である。」ナポレオン・ボナパルト
「偽善者は素晴らしい約束をする、守る気が無いからである。それには費用も掛からず、想像力以外の何の苦労も要らない。 エドモンド・バーク


Lies can hide the past and may fix the present, but will destroy the future.
再確認できたこと>この男に、日本語や論理的思考は通じないということ。そしてそういう人間が一瞬であっても日本のトップを務めたという将来にわたって消えない事実。

2011年8月11日木曜日

久しぶりに「超」面白かった

実は昨日の夜と一昨日の夜は困っていた。
理由は実に単純で、日本の母に頼んで買ってきてもらっていた新刊本「下町ロケット」を読んでいたから。書評を読んでいて「読み始めるともしかしてノンストップ状態になってしまうかも」と言う危惧を予め持っていたので、週末にしか手にとるまいと思っていたのだが、、、。やってしまいました。よりによって寝る直前に手に取ってしまったのでした。(笑)後はもうお察しの通りでして、もともと何かを読み出すとブレーキが効かない性質である上に、本の内容自体が抜群に面白くて止められない止まらないのカッパえびせん状態。最初のページを繰ったところから気がついたらもう230ページまで行ってしまったのが一昨日の状態、しかも午前三時前。これはやばいと思って興奮する神経を強引にねじ伏せて寝床につきました。そして昨日はそれを片付けるべく残りのパートを一気読み。いい歳こいた中年なのに、この手の眼を使う行為はかなりの疲労を翌日に残します。
内容はアマゾンの書評なんかを読んでいただけば誰もがある程度は想像つくと思うので、敢えて何も書きませんが、本当に久しぶりにページを繰るのがもどかしい面白さでした。こんな経験は高校の時に模試用のテスト勉強を完全無視して四日で読んだ全八巻の吉川英治「宮本武蔵」以来でした。
直木賞もこんな作品を推すことが出来てラッキーな奴だと思うくらいの出来ですよ。まさに洛陽の紙価を高らしむる出来ですね。出来ることなら、これが映画かされたら見てみたい気もするのですが、どうやら先ずテレビ・ドラマ化されるみたいです。(不出来で作品を貶めないで欲しいな、、、。)
この池井戸さんが書いてる他の作品も時間を見つけて順繰り読んでみることにします。

2011年8月10日水曜日

Reviewをしこしこと書く

朝から晩まで参考文献とにらめっこの状態でケモカインと消化器のレビューを書き続けている状態。
以前自分で書いたものも参考にしつつ、アップデートの感じで書き込んでいるんですけど、ディレクションを頭頸部癌、口腔癌から消化器全般の方にグイッと変えないといけないのでその分新たな勉強が必要なことと、最新の知見を加える分が結構負担になる。まあ、それが自分の仕事なのでシコシコと間断なくやり続けるしかないんですけど。仕事自体は他の個別消化器におけるケモカインの研究の進展具合が俯瞰できて興味深いですね。
何時ものことなんですけど、この書き込み時には必須のコーヒー。今回は新たに買ったばかりのダンキンドーナツのフレンチ・バニラのコーヒーをがぶ飲みしながら目の疲れと闘いながら書き込んでます。(笑)オジサン少し暗いところで遠視が入り始めたのも、この手の画面とにらめっこという事態と無縁ではありません。明らかに遠視の進行を加速させてますから、、、。まあ、齢(とし)には勝てんということで。
今月中にはキッチリ片付けるようにしたいと思います。(努力目標!既に言い訳?)


2011年8月8日月曜日

カレッジへ行くための資金

子供を大学に通わせるためには当然の様にその元手となる資金が必要となります。
私が土地持ちだとか先祖代々お金持ちだとか、利子だけで生活できるような恵まれた生活をしているような一部の人でないことだけは天地神明に誓って間違いのない事実ですから、大部分の人と同じようにスカラーシップをとるとか、入学時の納入金の減免の可能性を調べていかなければならないことになります。取り敢えず、スカラーシップを取得することを考えるにしても、長女の場合は国籍が日本人なので多くの大学で通常は取得できるスカラーシップが取得できない。(アメリカ市民向けのものがが通常のものみたいです。)というわけで、一つの方法としては米国市民権を娘に取らせてしまう方法があります。娘の場合、グリーンカード取得からちょうど五年目にあたるのが、スカラーシップ申請期限の最終締め切り前月にあたる1月なので、「もし」米国国籍を取得し日本国籍から離脱することになれば、アメリカ人として全く普通にスカラーシップを申請できることになる。しかし、将来的には上の娘は日本での仕事につきたいという希望も「今のところ」あるので、もし安易にこういうコンバージョンをしたとしても再び日本国籍を取得することもあり得るわけです。
そういうことを考えれば、外国人であろうがなかろうがこの手の借金をせずに卒業させてくれる大学に行くか、外国人であってもそのお金を気前よく拠出してくれるスカラーシップを探すことになります。例えばここに上げるようなページのリンク1リンク2リンク3リンク4等にはその手の提供先がゴロゴロしておりますが、もともとのパイが小さいので、勝ち抜き上る事自体が容易ではないと思われます。さて、どう判断して行動するべきか、、、悩むところです。この話、今後も続きます。(笑、ていうか笑い事ではないんですが、、、。orz)

息子の誕生祝い

息子の15歳の誕生日だった。
産まれてきたのが未だに昨日の事のように思えるのだが、どの親にとってもそれは多分同じような感じなのだろうと思う。この15年という時間も、日々の子育てという忙しさの中であっと言う間に過ぎてしまったというのが偽らざる実感で、ほんのこの前、産婦人科で、そら豆のような頭の形をした息子を腕の中に抱いた感触が未だに残っているくらい生々しい記憶が私にはある。
チビの頃、、、、、本当に信じられないくらい落ち着きのなかった息子が今や家の中では最も落ち着きのある人間の一人にまで成長してくれたかと思うと感慨一入で、ようここまで元気で育ってくれたの~!と、逆にこちらから「有難う」と言って感謝したいほどです。
今日の誕生会では、訪米中の母の歓迎も兼ねて家のポーチで鉄板焼きをセットアップして、ワインの栓も開けて肉を美味しく食べ始めたところでいきなりサンダーストームの雲が湧き上がり始めたため、一時間も経たないうちに家の中へ移動しました。それから10分もしないうちに激しい雨が降り始めましたが、誰も濡れること無く良いタイミングで避難しました。部屋の中に入った後は、いつもの様に我が家特製のチョコケーキが炸裂。みんなで既に腹一杯の状態なのに、ハッピーバースデーを歌ったあと更にケーキを一切れずつ口に押しこむことで行事終了となりました。
何時もとちょっと趣向を変えた飾り付けを買いました。

2011年8月7日日曜日

カニ食い過ぎだろ!

今日は実家の母をチョイと接待ということで、前回食べに行った「ハリスのカニ屋さん」までドライブ。
GPSが指示したコースは今までと全く違うコースで、早い段階でI-95から301に枝分かれし、混雑を完全に回避してアクセスすることが出来た。それでも時間は3時間ちょっとかかるのだから少々疲れる。着いたら早速2ダースのミドルサイズのクラブを注文しバリバリ食べ始める、、、。大人の方はピッチャーでバド・ライトを飲む。食べるといっても私自身は息子に殻を剥いたカニをあげるのに大忙しで殆ど食べた気がしなかった。これも毎度のことなのでしょうがないのだが。二ダースを食べ終わる頃にも全く全員が食べ終わるスピードが衰えず、しょうがないのでもう一ダース追加。ピッチャーももう一度追加。暫くすると、嫁さんと母はかなり飲んだようで、もう要らないとギブアップした。

ポトマックにかかるエライ急上昇をする橋です。落ちたら即死。
Harris Crab Houseの入り口です。
まずは二ダース。
アッと言う間に食い尽くしていきます。
サンダース食べ終わって「宴の後」状態。
全て食べ終わった後、真っ直ぐに家へ帰りました。ほぼ全員が爆睡状態で幸せそうでしたね。起きて往復6時間以上運転しないといけない私以外は。(笑)
ところでこんな興味深い記事が出ていたのでこれ貼りつけておきます。その通りだと思ったので、ぜひ他の人にも読んでもらいたいなと思いました。

2011年8月6日土曜日

誕生祝い(にかこつけた食事会)

今日は共同研究者の先生のラボにいるテクニシャンの誕生日を祝うために、ショッコー・ボトムに行って今まで入ったことのないしかしネット上では既にコンテンツを確認済みのアイリッシュパブへ行った。
名前はRosie Connolly's Pub& Restaurantというところ。
行ったこと無かったのは全く問題ないし、その手のキャッチバー的なところはここリッチモンドにはないので全く問題なし。治安上の問題も全く無し。ここらは本当にオシャレなエリアで、大人も学生もちょっと行くかという感じで気軽に寄れるところなのです。愛想のいい若くて可愛いお姉さんが注文を取りにあちこち回っています。おまけに暑くもなく寒くもなくという最高の天気で話は次から次へと弾みアッと言う間にに時間が経ちました。
嬉しい誤算はサーブされたエントリーやサイドディッシュが美味しかったこと!ここならまた時間のあるときに嫁さん連れてきてもいいかも?と思いました。リッチモンド界隈の皆様もいかがでしょうか。

2011年8月5日金曜日

日本から帰国~やっぱANAでしょう!

6週間も日本に帰国していた下の娘と私の方の実家の母が本日ダレスに舞い降りた。
ランディングから出国手続きまではほぼ一時間だったようで、久しぶりに実家の母親と娘を見た。母親は見た目少しだけ縮こまっている感じだったが、義母を見た時ほどの驚はなかった。もともと小さいので「縮み代(しろ)」とでもいうべきものが少ないのかも。(笑)下の娘が出てこんなと思っていたら実はもう出てきていた。何故気づかなかったかというと髪を金髪に染めていたから!なんちゅう変わり様?とは思ったのですが、夏休みのお遊びだったようで家に帰ってきたら速攻で黒に染め変えていました。本人曰く「飽きた」のだそうです、、、。それに少し背も高くなっていたような。
家に辿り着くまでの二時間ちょっと、後ろの座席からどでかい声でノンストップのおしゃべりのシャワーが降り注いできて家についた頃には大概私はゲンナリしていました。orzお土産はお姉ちゃんと自分に沢山買ってきてました。実家の母は小さな体でどデカイトランク2つに何だか良くわからないものを沢山詰めてきていましたが、何なんだろうとよく見てもやっぱりそれらが何なのだかよく解りませんでした。(笑)母は疲れて一旦夕方前に寝てしまいましたが、私が夜中に二階に上がる頃ふと部屋のドアの隙間を見ると明かりがついていたので開けてみたらベッドの上で本を読んでいました。暫くは二人とも時差との戦いでしょうかね。それにしても、人間増えると家の中のかしましいこと限無し。女の子はこんなにやかましかったっけかな?と言うくらいですね。家に帰ってきた時に久し振りに再会した家のちび犬は文字通りシッポがちぎれんばかりの喜びようでした。やっぱ嬉しいんだな~!
そうそう、驚いたんですけど、ANAの御好意で二人ともビジネスクラスで帰ってきたのだそうで!俺が居ない時に限って家族のみんなはこの偶然のアップグレードを楽しむ機会が多いようで、私は老いた母のために気を使ってくださったANAに有難うございました!とお礼をしたいと同時に、俺って一生エコノミーの運命かとちょっと寂しくもありました。(笑)やっぱ意地でも日航に乗らない俺の心意気を神様が斟酌してくれたのかな~??って「有るわけねえよ」。orz
この週末はカニでも食いに連れていかねばならんかな、、、等と考える私でした。

2011年8月4日木曜日

偽善と偽善者

またやってる。毎年恒例の偽善者の祭典「X時間テレビ」。
出演者たちが高額のギャラを受け取り、障害者や高齢者、そして災害の被災者達を応援し続ける「フリ」を垂れ流す腐れマスゴミの祭典。虫酸が走るようなマスメディアを使ったインチキの祭典。
こんなものが昔からずっと続いている事自体が不思議と言えないこともないんですが、それはその舞台裏を開陳する装置の欠如があったから。それもネット利用者の増加でその内幕の腐れ具合が暴露されてきたせいで批判のトーンは毎年上がる一方、しかし、そのコンテンツに到達できない人、メディアコントロールの傘の下から逃げる事の出来ない人、逃げようとしない人達にとっては自分の善意を気持ちよく成就させる実に気持ちの良いイベントなのかも知れない。しかしその実態はThe true man showの世界。メディアコントロールの中の自分の世界がパーフェクト・ワールドを形成し自己完結する小さな小さな善意の世界。しかしその善意は、大きな偽善の為に募金箱という一種の吸い取りチューブを通じてテレビ局とそこに寄生するタレント達に還元され、アルコールその他の享楽の糧に変わっていくだけの話。本当の慈善番組ならタレントのギャラなど「絶対に」ゼロでなければならないし、それ以外の条件であれば一円たりとも「貰った瞬間に」それは慈善番組では無くなる。無論スポンサードされているテレビ局も、その放映段階でのスポンサー料も当然のように純粋にドネートされるべき性質のものだろう。こっちで同じことをアメリカの俳優がした瞬間、その役者の生命は終わりでしょうな、、、。
弱者を助けることはモノを与え、金を与えて自分が満足する事ではない。継続的に自立のチャンスを与えることこそが真のスポンサードというものではないか。違うか?違うか?違うのだろうか。
しかし、このハッピーな人達は一体この催眠術から何時になったら解放されるんだろうか?

2011年8月2日火曜日

中国の列車事故

今度の事故は本当に痛ましいです。この手の大事故の悲惨さは本当に洋の東西を問いません。
今回は高速鉄道という「日本対中国」「フランス・ドイツ対中国」という国家間の特許紛争も絡んだ事故であったが故に、事前に関心が高かった為もあり、このように非常な関心を持って継続的な報道がなされてますけど、実際は数や重大事故に関しては世界各地で、特にインドその他の第三国では日常的にこれらの死者を上回る数の死傷者が出る事故が多発していますよね。日本も数は少ないですけど、記憶に生々しい事故が数件あったことは、幾ら何でも日本のニュースを知る大人なら誰もが覚えているだろうし。
今回の事故で特に騒がれているポイントは要約すれば実に数点。1)官僚主義の権化的事故始末の方針。2)先の項とも関連しますが、責任の所在を誰もとらず認めようとしないこと。3)そして、全く使いこなせない技術を用いて数多くの人間を人体実験を「今現在も」止めないという背筋の凍るような事実。この際、特許の盗用や破廉恥な国際的売り込みに関してはもう飽きるほど議論されていることなので、時間の流れに洗濯された、歴史による証言を待てば良いことですが、多数の中国人の命は今も危険に晒されています。
もしこれが日本だったら?もし自分の親族がこの被害に合うリスクがあったら?と考えると、この鉄道を今も走らせ続けている政府機関というのは心の底から頭がオカシイとしか考えられません。流石の共産党による政府統制も溢れ出す情報の洪水全てを堰き止める力は「当然のように」無かったみたいです。w特にマイクロブログで流れてくれツブヤキは絶対止められない事が今回の事でも、前回のエジプトの革命でも明々白々。このネットの時代には情報を隠そうとしても隠し切れ無いのはもうネットを使う者にとっては空気や水のように当たり前のことなんですけどねえ、、、。この機関はは未だそんな事が出来ると勘違いしてるみたいで、それが信じられんほど滑稽だし、崩壊する巨大な旧体制の最後の「もののあはれ」というものを醸し出しているのかも知れません。
一度味わってしまった「知る権利」の前に現れてきた「無知な裸の王様」の無残な様子は数多くの中国国内のマスコミによっても糾弾を受ける始末。今までは「有り得なかったような」出来事が起きてきていますよね。こういうのって何度も起き続けると、ますます人の心の中にある政府批判の閾値というのが下がってくるのは間違いないでしょう。
中国は一体何処へ行くのでしょうか。確実にこれから起きる経済のハードランディングとその後の混沌。ここ十年で大きく変わっていくような気がしてなりません。

世の中にはおもろいことを考える賢い奴がおるもんだ

今日家に帰って来てふとコンピューターの前の机の上を見てみると、何だか変なお札が置いてあった。
「なんじゃこりゃ?」と思いつつその一ドル札を見てみると、表紙の表にはTrack me at www.wheresgeorge.comというのとThis is a registered billなんて言葉がスタンプされている。お金にこんな加工していいのかね?と思いつつも、裏を見てみると今度は真ん中にスーパーマンのマークが入っている。ちょっと写真をとってみましたので見てやってください。
こんな加工、法的に有りか? リンク先を見てみるとどうやら法的にはオッケーらしいのですけど、、、。
スーパーマンのマークは無いでしょう、、、。
とまあ、こんな感じなんですよね。このサイトに実際に行ってみて解るのはこのお札がどのような場所を転々としてきたのかという歴史。次期と場所が判るんですよね。こういう野の変形版とかがきっと他にもあるんでしょうけど、これ見て思ったことは「面白い!!」という一言。まさにインターネットの時代のために生まれたような面白い遊びです。実際にこの番号のお札は、ここの前はテネシーだったみたいです。既に何箇所か経由してるみたいですね。実際のレイはこんなふうに出ています。リンクをクリックしてみてください本当に興味深いです。頭がイイってのはこう言う事を考え出す力ってことなんでしょうなー。
例えばあるお札はこんな旅をしているという一例。
皆さんも米ドル札を手にする機会があったらその表と裏を、換金前によく見てみてくださいね。参考リンクの一つをもう一個付けておきます。ここです。

2011年8月1日月曜日

炎の?結婚式

土曜日に結婚式に出席してきました。
息子の中学の時のバスドライバーさんで、個人的に親しくしてくださってた方です。facebook経由で結婚のことを知り、おめでとうと話しかけたら、是非出席してくれと言われましたので、息子と嫁さんと三人でお祝いに駆けつけました。もう数カ月前から通知自体は貰っており、式場もどこかは知っていたのですが、実際に行ってみると先ずGPS無しでは絶対探し出すのが難しいようなところでした。下の写真を見ていただけば判るように、バージニアビーチを通り過ぎた物凄い田舎でして、あまりの大自然の残り具合に思わず橋の上で車を止めて写真を撮ってしまったくらいのところです。(笑)
湖沼が残っている物凄く綺麗なところでした。
ピーナツかトマトですかね?それともじゃがいも?
どういったところで行われるのかと思っていたら、砂洲の先端部に有る、隠れキャンピンググラウンドのようなところで執り行なわれました。どうやら開始時刻はきちんとサンセットに合わせてあるようで、実に綺麗なものでした。
きれいな日没です。
ついてみると砂州の上でのセレモニーでした。新郎の方泣いてました。
連れ子の二人と新郎新婦で砂を瓶に入れて固めています。
ちょっと想像していなかったのですが、相手の新郎の方には大きな連れ子さんが二人いて驚いてしまいました。まあ、私たちが日本の標準的な感覚で式に臨んだからであって、こちらではごく普通の事なんだと思います。最後に、みんなで立食パーティーがあったようなのですが、彼らは親族一同泊まりこみ、私たちは片道3時間の道程で来ていたので、お先に失礼させてもらいました。
簡易型のバルーンをそばに飛ばしてフィナーレ。消防法に違反しないのか心配でした。
ところで、ちょいとここで問題が、、、。式の最後に簡易バルーンをあげていたのですが、4つのうち一つは着水を見届けたんですけど、残りの3つはどこか森か海の向こうに消えていったんですよね。ところが帰りしなに森の中で火事が起きているのを見つけてしまいました。これって、、、。時間的に何だか一致しすぎているような気がしないでもないんですが。(幸いもう火はそのころ鎮火されていましたが。)
何と帰りがけに火事を見てしまいました。まさかあのバルーンでは、、、。(汗)