2011年2月26日土曜日

アメリカのカレッジに入るには

上の娘がSATを受けるのが来月のはずなのだが、そんなに勉強してるように見えないのは親の俺だけか?という気がしないでもない。
なんだか、この受験準備というのはこんなにも子供任せでいいんですかね?
仕事にかまけてこんな感じですが、他のブログとか見てみると子供さんの大学入試に真剣に取り組んでおられる親御さんの数が多くてダメ親として気が滅入る感じです。(笑)
なんというか廻りがしゃかりきになっているとこっちは逆にやる気が無くなるというのが私の昔からの定位置で、受験の時や通常のテストの時なんかは特に「脱力」してしまう傾向がありました。(じゃあ、だからといってテストが無い時なんかに頑張っているかというとそれも全くそんなことはないわけでして、、、)要するに、怠け者なんですね。
いつも真剣に頑張るのは「怒った時」と「ケツに火が着いた」という時だけ。要するに日頃から準備をコンスタントに出来ないダメ人間です。そんな父親を持つ娘ですから、小さい頃からまあこの怠け遺伝子が遺伝してるだろうと思ってたんですが、やはり女の子らしいところがあって、結構、課題、宿題、プロジェクトの類はコンスタントにこなしているようです。逆にいえば、その手のことが高校の頃に出来ず、常に本番のテストだけでどうにかこうにか帳尻合わせをしていたような人間であった私のようなタイプは、アメリカの高校では「まず絶対に」良い成績は取れないことが良く解りました。
確かにEXAMという項目ではいい点が取れるかもしれませんが、宿題や小テストでの細々としたものが出来ていないと、全体の成績はガンガン評価が落ちていきます。本当に日ごろの努力の小さな積み重ねが最終的な本人の高校の成績を決めるのです。これに組み合わせてSATを受け、かつ教師その他の推薦状を準備し、更には日頃のボランティアや社会活動の一覧を添え、特別な資格や能力を持っていたらそれを証明するものも組み合わせ、リクエスト次第で(殆どのところでそうなんですが)小論文・エッセイをつけて提出し審判を待つことになるわけです。
結局、カレッジが見たいのはその学生がカレッジライフを通じて学業を終了させる能力があるか、そしてその伸びシロは大きいのか、更には一人の人間としての成熟度はどうなのか、将来の夢は、課題を与えられたときの判断能力はどれほどか、ということなどを総合的に知ろうと考慮された検査だということになります。
日本のように殆ど一点突破で突き抜けていくような方法はナカナカ通じないようです。無論、「天才」レベルと言えるような学生なら話は別なのでしょうが、それは実にレアなケースであって、そこら辺の秀才だと、学校生活が駄目だとカレッジも遠くに霞んでしまうということになります。
要するに良いカレッジに行きたければまず良い点数。そして、それに付け加えて何をアピールできるかということになるわけで、プレップスクールのようなお金持ちの子息がいくような学校(DC界隈では全寮制で年額5万ドル以上普通にします)はそこら辺をきちんと考えてキャリアデベロップさせるわけです。
日本以上に金持ちの子は再び金持ちへ!という道が大学込みで取られているんです。所得格差で云々とはいえ、日本なんてこの国の巨大な格差に比べればまだまだ平等な国です。
でも、内側からだけの視点でみるとそうは見えないんでしょうね、、、。

0 件のコメント: