2010年6月10日木曜日

アホが仕切る日本の研究体制

柳田先生のブログを読んでいて悲しくなった。

ただの置き石のような政治家然とした年寄り研究者(若くてもヒタスラ政治を目指すバカも沢山いますが)ではなくて、先生ほどの功労者、且つ、現在進行形で優れた結果を出す研究者をこのように粗雑に扱う国家に未来などあるわけない。もう戦略システムとして終わってる。
私は先生のブログ読んでいつも愉しませてもらってますが、そこに書かれている柳田先生の思考形式や発言がどのようなものかというのはハッキリ言って先生が産み出す科学の真実とは全く無関係なものであって、例えば柳田先生が政治や日本の状況に関して私の眼から見てかなりズレた発言をしてるなと思うこともあったり(まあ、私がずれてることがほとんどか(笑))、流石、一流の科学者というもの目の付け方がひと味違うなと思うことがあったりというのがいつも先生のブログでは展開されています。しかし、それは先生の「非」科学の一部を知る愉しみであるわけで、科学に関する書き込みはやはり競争を続けてきた人は違うなと思わせる重さを感じることが多いです。ここでもう一度言わせて貰いますが、そういった「人間柳田」としての発言は先生のラボが産み出す純粋な科学的美とは全く独立した事象ではないですかね。
先生の出す科学を知ろうとするならば先生の出された論文とレビューを読むだけで十分事足りるわけで、科学哲学というのはそれらの行間から滲み出したものを読むものが掬いとれば良い話で、出来ないのならそれはそれでその人の能力の限界だと思えば良いだけの話だと思います。先生の個人史というのを知るのは楽しいですけど、科学的なアウトプットと格闘の歴史はやはり論文に尽きると私は思うのです。
極端な話、先生が妖怪の如く100歳まで競争的な研究結果を出し続けられるのであれば後に続く若者は先生の名声と実力に体力と知力の限りを尽くして階段を一歩一歩登るように挑戦し続けて、先生が「参った、あとはおまえらに道を譲ろう」と思わせるところまで他のものは戦うべきであって、退職したから研究するなとか、年とってるんだから若いヤツに道を開けろなどというのは、それこそ臍が茶を沸かすというもんだと私は思います。要は知的体力が全てでしょう。
こちらの研究者でも大ボスは確かに大型の予算を取る傾向強いのです、しかし、それでもある時を境にR01が切れれば、金も人も論文も去っていくというようなことは日常茶飯です。それでも戦う人は戦い続けるわけで、グラントには年齢を書き込む必要さえないのです。若かろうが歳とってようが、生き残った輩の勝ち。脳みそに汗かかせて、運を掴み結果を掴む人間だけが生き残るのです。だから私だっていつハイサヨウナラとなるか判らない。でもそれでこそ研究の水準が保てるというものではないでしょうか。事実そうやった競争環境を求めて世界中の老いも若きもアメリカにやってくるではないですか。日本からの留学生の大幅な減少(アジアの国の中では飛び抜けて目立つ現象・減少)は日本人が昔持っていた挑戦者魂の衰弱そのものかなという気がします。
話が飛んでしまいましたが、大ボスと大学に守られたひ弱な研究は長い長い時間をかけてきっと日本を衰退させていくんではないかと危惧します。今までは競争的環境にいた団塊世代がその人口数とともに日本の競争環境を自然に残していましたけど、、、最悪の今後の人口減少予測では2050年に下手すると今の半数の人口へと現象するという。今の日本の質を問わない全入大学生時代の誕生とともに暗ーい日本の科学の時代がやってきそうな予感がします。
人工衛星ハヤブサの帰還は全盛期の頃の日本の最後の科学的成果として燦然と輝く日本の最後の記念すべき墓標となるのかもしれません。冗談抜きで。
馬鹿が偉そうに予算を振り回す国家に栄光あれ!なんで日本はこんなことを何時までも繰返すんだろ。

柳田先生は日本に帰るべきではなかったです。正しく「非」日本的な研究者です。
アメリカかシンガポールに行かれた方が冗談抜きで幸せだと思うのは私だけか。

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