2010年2月19日金曜日

日本とアメリカ・仕事効率

アメリカに住んで仕事をしていて思うこと。
それは仕事の効率の違い。

日本に住んでいた頃は留学先から帰ってきた人達の話も含めていろいろとアメリカのことを「間接的に」知る機会があった。しかしもうこちらに住み始めて12年。あれやこれやとアメリカの日常、研究、ポジティブなことネガティブなことをゴチャ混ぜにして聞いていたのも今では本当に昔話のようです。
さて、タイトルに有るような事についてなんですが、良く日本とアメリカの時間あたりの仕事効率(特に生み出されるお金なんかを基準に計算してるみたいですが)の話がネットの記事で出てきます。
こっちに来た当初は「アメリカが日本にかなりの差をつけて勝ってる?ナイナイ。」と頭からこの手の記事を信じてなかったのですが、ここ数年「やっぱ正しいかも?」と感じざるを得ない気がするシーンが増えてきました。
まあ、こんな比較は自分の経験してきたたった二つのアメリカの研究機関と日本の幾つかの一般的な病院、研究機関を比べて居るだけの「マイクロワールド」の話なのであてにしないで頂きたいのですが、全員の仕事の時間(一般事務職の人も含めて)はかなり柔軟で、フレックスタイムと言うのが日本よりもはるかに柔軟に運用されてます。なので、朝六時前に来てもう三時頃には帰ってしまう人とか、(もちろん8時に来て三時に帰ってしまう人も居ますが!)結構居ます。
ではそれで仕事が上手くまわっているかというと何も問題なく回ってます。何と言っても大きな違いは構築されたシステムの質の差。人間が勤勉だとか言うことは全然無いのですが、仕事を早く終わらせるためには、間違いを減らすためにはどういうシステムであれば良いのかと言うことがかなり綿密に作られていて、人の間違いをカバーするように細かい改良が良く練りこまれていると思います。
だから、(日本の標準的な水準からすると)知的にはそこそこの人でも、あたかもかなり能力のある人であるかのように立派に普通のアウトプットが出せます。
こういうのを毎日のように見ると、本当に少数のもの凄くできる人達が練り上げたプランやシステムでアメリカ全体が動いているのではないんかいなと言うのを年々歳々強く感じるようになっています。少数の人達は驚くほど良く働きます。これは日米差はないと思いますが、その人達が構築する「政治や社会の仕組みも含めた」トータルで見た工学的な手法や哲学の差が最終的に効率差という言葉に集約されているのではないかと思うのです。
仕事の中でのコンピュータの使い方が上手いのは偶然では無く必然的な結果として出てきているのがその一端なのかも知れません。

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