2008年12月24日水曜日

国会は肥溜めの代名詞

日本の国会中継を見ていていつも大声で叫びたくなる。
これは本当に文字通り声に出して叫びたいのだ。質疑応答のレベルの低さ、議院の迫力の無さ、圧倒的な討論能力の低さに対する苛立ちからくるものです。下に貼付けた映像は YOUTUBEからのリンクで、言葉で相手を文字通り「倒す」迫力が有る。国会中継をネットで見ていて思うのは、我が国を代表する議員の討論能力がこれで良いのかということ。何か有るたびに横から小声で役所の小役人が出て来てはヒソヒソとマイクの後ろで打ち合わせをする様な状態を「醜態」と言わずしてなんと言うのか私は知りたい。これが、世界に向けて放映できる内容なのか。田中眞紀子は話が上手いなどと褒めそやす向きもたまに有るが、彼女はポピュリスト、漫談師。あんなのは討論では無くただの床屋政談の域を出ない。(その点彼女の跡を継ぐ事を頑として断る彼女の息子はその醜態に気づいているだけまともだと思う。)このような人間を選び出す選挙区の人間の「ツラ」を見たいが、まあ、選びたくても選ぶ母集団がどうしようもないのであろう事は容易に想像がつきます。残念ながら共産党や社会党、そして公明党等はその源流からして恐ろしくて到底選べる様な母集団ではないし。(笑)ITをイットとなどと呼ぶ世代の政治家は街にやってくるゴミ収集車にまとめて叩き込まれた方が日本の為に良いのではないでしょうか。では人材は無いのか、本当に払底しているのかという事なのでしょうが、どの世代にも無論、60、70代の方々の中にも素晴らしい見識と意見をお持ちの方が沢山居るのでしょうが、そういう「まともな」方達はこんなギインセンセイなどという様な21世紀で最も汚れた仕事となってしまった食など最初から所望されないのでしょうね。この画像の様な感じで議論を出来る議員が800人弱もの国会議員の中で何人居るのだろうか。手元の資料に付箋を貼ってそれを参考にしながら「自分の言葉」で議論できるのか。私は声を大にしたい。国会議員なんて今の仕事をしない議員達の数から言えば半分以下で良いと。選挙民も選挙民だと思う。未だに地元に橋を架けてくれだの、道を云々などとは十九世紀や二十世紀初頭では有るまいし、国家にお金が無かったらそんな事できる訳ないでしょう。地元の利益誘導に明け暮れる選挙民が多いとこんな事になるんでしょうか。仕事が地元に?違うでしょう。土建屋には金が落ちてもその金は結局再回収されて中央に戻るだけ。自治省からやって来た落下傘知事が三期務めてハイ終了。「中央政界との太いパイプを持っています!」(<<要するに私は知恵や政策は皆無なのです、という宣言。)というのが売り言葉の完了が地方に来てバラマキと私服肥やしに精を出すというのが常にセットになっている現状は本当に絶望を通り越したものが有ります。東国原知事が誕生した時には「彼の過去がどうであったにせよ」少なくとも旧弊を破り、政治と地方自治の勉強をし直して来た人間が選ばれたという時点で私はまだ100%日本も死んでは居ないのだなと思いました。

日本の世襲議員も何世代にもわたって発酵して来た為、良い具合に腐ってしまっているようです。まあ、毒になる程の豊かな中身は無いので、ただ肥料として畑にでも撒けば腐ったものなりには良い肥料にはならないのか?いや、劣化はしていてもプラスチックなのでただの産業廃棄物か、、、。

何だか今日は書いていて久しぶりに頭に来た。

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