2008年12月7日日曜日

英語の話ー嫁さん、そして私の母

英語の話の第三回目です。二回目の終わりの時点でちょっと書くつもりにしていてそのままになっていたので。
嫁さんの英語の話を書くとこれを読んでいる本人からクレームがつくことは間違いないが、一切無視するものとして書きます。(笑)
うちの嫁さんは日本からこちらに来るまで「有体に言えば」全くそこら辺に居る標準的な日本人の英語能力でした。私が考える「標準的な」日本人の英語能力というのは、中学で英語を初めて習い始め、高校までは何とかペーパーテストを中心にして文法と読解中心の英語の授業を「凌いで」きた人々、と言うところでしょうか。作文のレベルは結局どういう大学を受験したかと言うのに比例し、会話に至ってはどういう大学を受験したかには関係なくかなり「あかん」というのが私のイメージする私の世代の「標準」としておきます。
英語を話す如何なる人から道端で突然、英語で何かを問いかけられてもまず何はさておき「ドキリ」とする、と言う感じだと想像していただければ良いかと思います。その人が、旦那の留学にあわせて一緒にアメリカに着たらどうなったのかと言うのが今回の話です。有体に言えば、最初はもうシドロモドロという感じで、それを傍から見ているこちらとしてはじれったいの一言でした。おまけに日本人コミュニティーが近所にあったと言う事もあり、同じ世代の子供達が集まっては嫁さん達もまた日本語でコミュニケートできるので特に英語を話す必要性も高くない、と言う状態が最初の五年ほど続きました。
ところがこちらに引っ越してくると事情は一変、日本人などまあ探したところでほぼ見あたらない環境下に置かれた上に、子供達が学校から持ち帰ってくる書類にも眼を通さなくてはならなくなってくるし、実際に子供の具合が悪くなったときに学校と電話でコミュニケートしなければならない事態も実際にあるなど、「話せない」では済まない事が多くなってきました。そうこうするうちに、自分で車で20分くらいのところにある教会で主催されている無料英語教室に行くと言い出しました。大いに結構と言う事で、暫く様子を見ていたのですが、確かに少しずつ語彙も増え、聞き取りの力も改善してきているようです。教会の無料教室にはメキシカン、ロシアン、コリアン、そして日本人と言う感じで来ている様で、皆余り変らない感じでお互い楽しんでると言う事でした。是非ともこのまま続けて頑張ってほしいものです。(いつもベッドの脇に線をたくさん引いた赤尾の豆単が置いてあるのは秘密かな。)
最後に、英語は戦後すぐに習って終わりだったと言う私の母の話をしてこの一連の英語の話を終わりたいと思います。
実は、私の当時60台半ばの母親がアメリカに遊びに来たときは魂消(たまげ)てしまいました。何がどうって英語などハローとイエス、ノーくらいしか「絶対に」知らないのですが、この母が買い物に一人で行って意気揚々と帰って来て一言、「いやー、レジの女の人と「会話を」楽しんできた~!面白くてゲラゲラ笑った!」とのたまうのでした。怖くて余り内容は聞けませんでしたが、(パンドラの箱を開けてしまうのが怖くて)どうやら双方が身振り手振りと完全な推測だけで、コミュニケーションを行ったことは間違いないようです。それでも、楽しんでくれたので良いとしよう、と思っていたのですが、後日その現場を別の形で見せ付けられる事になりました。
あるときボルチモアのインナーハーバーに行った時に、そこのHARD ROCK CAFEで買い物をすることになったのです。母親が、私に「滅多に来ることは無いから何か服を買ってやる、値段は問わない」と、その時点まで生まれてこの方母親の口から聞いたことの無いような台詞が出てきましたので、これは遺言かもしれないと勘違いし、素直に好意に甘えることにしました。(結局、幸い今でも母は元気そのものです。)ところが私の願った壁にかけてあるジャケットを棚から取る際に母が店員に取った行動を見て仰天しました。使った英語は「ジス」(多分THISの事だと思いますが、、、。)と「イエス、ノー」のみ。後は若い男性店員があたふたしながら、母親の指の指す先を泳ぐようにあたふたと動き回るのです。そして商品にたどり着くたびにそれを指差しては店員が、これか?という顔をするのだが母が「ノー、ジス、ジス」と言うたびにこれ?これ?と更に焦るのを見て、こちらは冷や汗が出るやら笑ってしまうやら。最後の最後で、財布から通常アメリカで生活している限り日常生活では先ず普通はお目にかかることの無い百ドル札を、数枚ゴソッと財布から取り出した時は、別の意味で気が遠くなりそうでした。(母ちゃん、こんな大金持ち歩いとったんかよ~!危ね~!)英語が話せない事など「全く」何とも思わないうちの母にとっては、アメリカで生きていくのは余り大きなストレスにはなりそうにもありません。(周りのサポートスタッフたるこちらが疲れそうです)
この母に買い物終了後、買い物英語通じなくて大丈夫だったか?と、わざと聞いたところ「馬鹿、問題ない。」一喝されました(笑)。それを見て、俺は母親のようには絶対に長生きできんな、と確信したものです。

結論:言葉なんて「道具」です。使って何ぼ。恥ずかしがっていたら何時までも役に立つ道具にはなりませんし、あなたが恥ずかしがっている事など相手は気にもしていません。道具は使い込めば、自然とその人の癖のついた良い味が出てくるものです。使いましょう。英語は「外国語の習得が世界で最も下手な」アメリカ人のために「使ってあげている」位に思っておけばよいのです。

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